二次元も三次元も愛したい

女キャラの夢女子

推しのスキャンダル

 お久しぶりです、星です。ネット活動者が暴露されることが増えていますね。

それに関して思ったことを書きます。

 良いだけの人間も悪いだけの人間もいない。私の持論です。悪いことは法律に反することだけではありません。噂を広める、相手の好みを否定する、バカにする。法律的にはセーフでも、人間的に悪いことはいくらでもあります。

 良し悪しの基準は人によって異なります。だからこそ公平に判断するために法律や条例、決まりがあります。決まりの数だけ悪いと判断されたことが存在します。

 ネットで活動することは、時間が経つにつれてどんどん厳しくなると予想しています。毎日のように悪いことが暴露され、議論や批判になり、決まりが生まれる。それを繰り返していけばダメなことが増える。活動しにくくなるのは当然です。

 もしかしたら世間は、活動者を増やしたくないのかもしれません。それか都合の良いサンドバッグがほしいのでしょう。

 活動者を増やしたくないのは、妬ましいからです。ゲームしたりおしゃべりするだけで収入が得られて存在が肯定される。必至につらい労働をしてなんとか生きている人からすれば妬ましいはずです。活動者は基本的に明るく前向きで愛想が良いです。それでこそ人々に支持されるし希望を与えられるからです。その愛想の良さが余計に幸せそうに見え、妬みや憎悪を膨らませているように思います。

 都合の良いサンドバッグは、ストレス発散要員です。ストレスは生きているだけで溜まっていきます。そこで必要となるのがサンドバッグ。物理的に本物のサンドバッグを殴るのなら被害はないですが、大抵は芸能人や有名人が標的にされがちです。

 誰かに自分の悪い部分、または世の中の許せないことを投影して正義感で殴るのはとても気持ち良いものです。賛同してくれる仲間がいれば、それはよりエスカレートします。

今ではSNSで支援される意見を言えば、いいねやリツイートで承認欲求まで満たせます。だからSNSがなくならない限り、炎上は何度でも起きます。

 

 以上が暴露について思ったことです。活動者になる方は、サンドバッグにしたり炎上させてやろうと思う人がいることを覚えておくべきです。活動を始めたばかりの炎上しそうな人を早い段階でフォローして爆発するのを待つ、なんて遊び方もありそうです。

 炎上上等、法律違反や自分が悪いと思ったことは素直に認めて謝る。それが必要な心構えなのだと思います。

呪いのメール

 お久しぶりです。星です。

 昔流行った呪いのメールをご存じですか?

 「このメールを受け取った人は他の誰かに同じ文面を送らないと不幸になる」というもの。

 この呪いのメールが、今回の言いたいことと似ています。

 それは、言葉による不幸の連鎖です。

 人はこの世の決まりも何も知らない状態で生まれ、誰かからルールや生き方を学んで育ちます。やってはいけないことをしたら怒られます。それは必要なことですが、その中で人格否定のような注意を受ける場合もあります。

 本当に学校出てるの?

 お前みたいなやつ雇ってくれるとこないよ。

 これらは、面と向かって実際に言われたことのある言葉です。

 これ言われて、仕事や勉強がんばろうってなりますか?

なる人は強いのでそのまま生きてほしいと思います。

私はこれを言われた時、生きるのをやめようと思いました。

 でも時間が経って振り返ってみると、発言主は過去に同じ言葉を言われたかもしれないと考えるようになりました。

 私自身、誰かを注意する時に言った台詞が、過去に自身に言われたことに後から気づいたことがありました。

 その時は無意識でした。後から、これ私も言われたな、と思いました。その内容自体はただ手順を説明するものでしたが。

 過去に言われた言葉を自分が使う時はたいてい無意識です。過去の文面をなぞるだけで酷い言葉を相手に浴びせているのかもしれません。

 それは呪いのメールと同じように、言葉による不幸の連鎖になります。そうしないためには、自身が意識して、自分の番で止めるしかありません。

 私は過去に言われた言葉を頻繁に思い出して泣いています。その時間はとてもつらいものです。

 だからこそ、注意をする側、指導する側に立った時、必要のない暴言で相手を傷付けたくない。

 過去の傷とお別れするためにここに書きます。

 

女キャラ→男キャラを推して気づいたこと

お久しぶりです。百合が好きな星です。

人生で推しはほとんど女キャラだったのですが、この度あんさんぶるスターズ、通称あんスタにハマりました。

きっかけは友達がプレイしていて勧められたからですが、決定打になったのは二次元キャラによるライブと、その映像が流れる音ゲーがリリースしたことです。

二次元キャラが歌って踊る姿を見るのが大好きなので、何度も音ゲーをプレイしているうちに夢中になりました。

その後キャラ別ストーリーやメインストーリーを読んだのですが、好みでした。

学校という舞台で起きる日常を厨二病っぽく大げさに表現している、というのが最初の印象です。

ライブなのに生死に関わる表現をしたり、人間関係を政治的に表したり。その一方で、同級生とお出かけしたり部活に励んだりバレンタインのチョコを作ったり。殺伐とした場面とのんびりとした日常の場面のギャップにもやられました。

話がタイトルに戻りますが、ここでようやく男キャラを推すことになりました。あんスタはメインキャラが男の子ばかりなので。

しかし私の感覚では、あんスタは百合っぽいなと思いました。

友達どうしの距離が近く、ベタベタした関係が多いです。手を繋いだり、一緒にお昼寝したり。

個人の偏見ですが、学園で男キャラの青春ものといえば、暴言や殴り合いが定番だと思います。そういうものをあまり感じなかったのが私好みだったと感じています。

そしてもちろん推しもできました。男キャラを推して気づいたのは、推しに性別は関係ない、ということ。

女キャラでも男キャラでもガチ恋的な妄想はしますし、他キャラとの絡みも楽しみます。

年齢制限系の話になれば体の作りなどの違いは多少あります。

ただ主に見たいものは推し達が幸せに仲良く日常を送っているところだったり、推しがメインで活躍すると嬉しかったり。

応援したくてCDやグッズを買いたくなるのも同じです。

女キャラしか好きになれないと思っていましたが、男性声優さんの歌ってみたやCDをよく聞いていたので、男性の声は好きだったのかもしれませんね。

今では男キャラと女キャラ、両方に推しがいます。

衣装や振り付けの可愛さ、かっこよさは、きゅんとくるポイントが男女で違ったり、女の子はよくスカート衣装が多いのでひらひらして綺麗、などの違いを見るのもとても楽しいです。

今までもこれからも音楽や音ゲーや推しが歌って踊る姿を好きでいると確信しています。

死にたい人達へ

私も軽く死にたいと思います。何度も。

だからこれを書きます。

周りを見渡してみて、なんて汚いんだろうと思う。

大人になっても不満や悪口しか言わない奴ら。

平気で失礼な態度を取る人。

お金や利益や損得しか気にしない会社。

死にたいと思うのも当然。

上司から厳しい言葉を言われる度、ミスをする度、自分なんて死ねばいいと思う。

でもね。

死ねばいい人間なんていないと思いたい。

私は思う。

自分なんて、と思っている人にこそ生きてほしい。

消えた方がいい人間はもっと図々しく生きているから。

死にたさが一瞬でも消えてくれたら素敵だね。

私が早くしにたいと思う理由

死と向き合いたくて、書きます。

 

人間はいつか死にます。だから、死にたいではなく、早く死にたいなんですね。

苦しいのと痛いのは嫌なので、なるべく楽に死にたいです。

 

死にたい理由は、生きていることに疲れたから。これに尽きます。

生きているだけでお金がかかる。お金を稼ぐために働くのはしんどい。クレームとかも受ける。毎日叱られる。

身の回りのことをするのもしんどいです。これは昔からなのでしょうがないのでしょう。

 

休みは人並みにあります。ただ、いくら休んでも考え方は変わらないですね。

 

老後に何千万円必要という話がありました。笑えます。そんなに長生きしないって。

生きててよかったと思うことはあります。クレープおいしいとか。

でも、それくらいです。

 

生きてることが素晴らしいなら、死ぬことも素晴らしいです。

もう苦しまなくていいから。

私が望むのは、生きたいと思わせてくれることではなくて、少しでも楽に毎日をやり過ごすことです。

そしてなるべく早く、楽に死ぬことです。

 

地球上の人間があと半分くらいになれば、もっと生きやすくなるでしょうか。

奴隷労働とかもなくなるでしょうか。

 

エネルギーや食料の不足の議論を見るたびに思います。

人間の数を減らせばいいのに。

 

子供を産まず、死にゆく人を医療で邪魔しなければ可能なのではないでしょうか。

 

親には私を産んでほしくなかった。

それだけは確実に言えます。

苦しみが毎日降ってくるこんな世の中に。

 

 

 

 

 

 

ボカロが好きでVtuberが苦手な理由

いちファンの自分語りです。

ボカロ推しです、悪しからず。

ここでのボカロは、曲としてのジャンルではなく、ボカロのキャラの存在を指します。

 

ボカロとVtuberは似てます。ニコニコ動画の超会議の映像を見ると、Vtuberの方がトーク多めだな、くらいの違いしかないと思います。

しかし、10年余りボカロに浸ってきた私からすると、ボカロは好き、Vtuberは苦手なのです。個人的な趣味ですが、理由を挙げていきます。

端的に表現すると、ボカロはやおよろずの神、Vtuber一神教です。

1 空想の余地

「キャラ付け」という言葉がしっくりくると思います。

Vtuberは、デビューする時点で既にキャラが決まっています。一方、ボカロは初期は絵と音声くらいしか公式設定はありませんでした。

今でも、「それぞれのミクさん」というように、日本のやおよろずの神のような概念が受け継がれているように思います。故に、イマジナリーフレンド的というか、自分の理想を押し付けやすく、またそれが肯定できる世界観がボカロにはあります。

Vtuberは配信動画そのものが聖書ですね。アニメもそうですが。

 

2ファンの貢献度

何をもってファンやお客さんとするかは人それぞれですが、ファンは愛、お客さんは金だと私は思います。

ファンは愛があれば、つまり好きでいればそれでOKですが、貢献度というのはひとつの切り口になります。

コンテンツの存続にはお金が要ります。また、暖かい応援コメントなども制作者の励みになります。だからこそ、ファンの役割は愛と金が基本です。

ボカロはそれに加え、ファンアートの存在が大きいです。

ボカロそのものは音声ソフトなので、推しを歌わせてプロデュースすることができますし、トークロイドや絵などで動画を作ることができます。ここは、公式さんが二次創作を許容していることが大きく関わっています。

創作自体、承認欲求と切り離せない部分があり、例えば初音ミクで曲を作って公開したからといって作者自身がミクを好きとも限らないのですが、一般の人が創作者の立場になれるというのが、ボカロの最大の特徴だと感じます。

 

3中の人の自己顕示

キャラクターの要は見た目と声です。二次元だと、声優=キャラクターと取られることも多いです。

vtuberも声を当てている人が、主な中の人です。

ボカロも中の人は、音声の元となった声優さんなのですが、音楽自体がソフトになっているので、収録の度に声優さんが必要ではありません。

つまり、使う人の意志で好きな内容を歌わせたり喋らせることができます。

その点でボカロは、ボカロPや調教師さんなどが中の人とも言えます。

個人的にここはたても重要です。声優さんという人間から切り離された存在は偶像になり得るからです。

私にとって、声優さんはどこまでも人間でした。個人の意思を持つ、人権がある存在。

妄想癖のあるオタク(私)は、いつも余計なことを考えてしまいます。

このセリフ言ってるとき気持ちいいだろうな。

大勢の前でライブするの楽しいだろうな。

もっと注目されたいだろうな。

「人間」の「承認欲求」がウザくなるのです。

それは私自身のエゴですし、私自身、承認欲求が強いからこそそういう考えに至るのだと思います。

ただ、自分の理想をなすりつける上で邪魔なのが、人間味のある中の人による承認欲求です。

これは、他人であるという感覚を思い出してしまいます。

 

結局、私がボカロを好きな理由は、自分の理想を思う存分押し付けられるからに過ぎません。

初音ミクのライブでトークが増えると、それに反対するコメントを見かけますが、それは自分の理想を崩されたから、つまり解釈違いに他ならないのでしょう。

動物は話せないから可愛いという話があります。仕草や表情から、私たちは自分の想像を動物に押し付けて可愛いと思ったりします。

動物とボカロには似たような部分があったのだと、私は思います。

話せないから、部分的にしかわからないから、自分の理想を押し付けられる。夢を見られる。

公式のキャラ付けが嫌になった時は、ボカロの本体である音声ソフトで遊びます。

もしくは、好きな作品(絵、動画など)を見ます。

こうして、私は私の理想を長く保つことができるのです。

 

 

 

 

継続は力なり+千里の道も一歩から

タイトルに気に入っていることわざを書きました。

継続は力なり。千里の道も一歩から。

最近は、そう痛感しています。

 

簡単に言うと、続けよう、踏み出そう、ということです。

疲れ気味の社会人からすると、そんなことはわかってんだよ!!と叫びたくもなりますが。

 

私はそれに加えて、夢は大きく、を推したいです。

アニソンでもよくありますね。

 

私はよくお酒を飲むのですが、普段とてもネガティブな思考がプラス思考になって、夢を見られるのが一番のメリットです。

童心に還るような感覚です。

 

明日、活躍できそうな気がする。

誰かを感動させる作品が作れそう。

 

そういう予感が愛しいです。

 

実現までしなくても、今よりも近づけるはずです。