ねほりんぱほりん 2次元しか本気で愛せない女たち 感想
2次元しか本気で愛せない女たち、ようやく見れました。
内容は、とても面白くて、これからの二次元ライフハックにもなりました。
特に、二次元は三次元を生きるための給水所、という部分に同意します。
ただ、感覚は個人によって違うので、同意しにくい部分もありました。
今回の放送では、対象が二次元男子が中心というか、全てでしたが、私の本命は二次元女子です。
だから、違う部分も出やすいのかな、と思います。
番組でも出てきた意見ですが、三次元から逃げていると言えばその通りですし、それが良いとも悪いとも思いません。
ねほりんが怒っていたのは、三次元を否定されたように感じたからだと思います。
でも私の感覚では、二次元が良くて三次元が悪い、という訳でもありません。
多くの物事がそうですが、物事には良い面と悪い面があります。
2つのものを比較するとき、片方の良い面ともう片方の悪い面を出すと、片方を否定したように聞こえます。
私は、物事には良い面と悪い面があると考えているので、2つを比較するときは、それぞれの良い面、悪い面を見つけ出すようにしています。見つからないときも勿論ありますが。
というわけで、番組で強調されなかった(ように感じた)、三次元の良さを出したいと思います。
それは、温もりです。
二次元でも、抱き枕にカイロとかを入れれば温もりは感じますが、ここで言いたいのは、それ以外の温もりです。
温かい気持ちになる、と言われるものです。
温かい気持ちは、やはり三次元で、人と関わることで生まれるものだと思います。
2次元しか本気で愛せない女たち、というタイトルでありながらも、ゲストの女性たちが三次元との関わりを断っていないことが、三次元を否定する訳ではない、何よりの証明だと思います。
二次元の良さも、三次元の良さも、尊重できる世界になってほしいと思います。
推しが出るソーシャルゲームをしてみた
推しが出るソーシャルゲームをインストールしてプレイしました。
このアプリゲームは、スマホを購入してすぐプレイしていたのですが、ゲームシステムがあまり好きになれなかったので、アンインストールしていました。
それから3年程経ち、久しぶりの再プレイでした。
データの引き継ぎ期限が切れていたので、一からのスタート。無事に、推しのカードを何枚か引くことができました。
久しぶりに推しの画像をたくさん見れて、とても幸せです。
推しの画像は検索すれば出てくるのですが、ガチャで出てくれると、私の元に来てくれた感がすごくあるのが面白いです。
推しキャラともっと一緒に過ごしたい(推しのカードでプレイし続けたい)気持ちと、ゲーム操作が作業になってしまうことを天秤に掛けているところです。
あまりにも推しに浸り過ぎると、思考停止になるので、摂取を控えています。
バランスが大事。
ソーシャルゲーム自体は、これからも末長く続いてほしいです。(他力本願)
イラストと承認欲求
イラストを描くのが趣味だという人は多いと思う。ピクシブを見ていると、毎日こんなにも多くのイラストが描かれているのかと驚く。
前にも書いたが、私はペンタブでイラストを描いていたことがある。結論を言えば挫折したのだが、何だかんだ言っても、定期的に鉛筆で落書きをしたりしている。
私は今まで、版権のキャラを描くことが多かった。更に女の子しか描けない。
男の子も練習すればいいのだが、あまり描こうと思わなかった。
だから、イラストレーターや漫画家を目指そうと思ったことはない。描けるものも描きたいものも限られているから、職業にするべきではないと考えたからだ。
こういう私でさえ、承認欲求がある。一時期は承認欲求のためだけにピクシブに投稿を続けていた程だ。
そのおかげで少しは上達もしたと感じている。でも、承認欲求は満たされることがなく、1回満足したと思っても、次の日にはまた欲しくなっているから、苦しいし、中毒みたいになる。
TwitterやInstagramのいいねもそういう感じなのだろう。
ソーシャルゲームも、他のプレイヤーから認められたい、というのがあるかもしれない。
結論としては、承認欲求を上手くコントロールできればいいと思う。難しいけれど。
私の場合、承認欲求のために、色々なものを犠牲にしがちだったため、とりあえずTwitterやピクシブに投稿するのは控えている。
ブログも承認欲求に動かされて書くけれど、ある程度考えがまとまっていないと書けないし、書いたものは自分を振り返るきっかけになるから、楽しんで書けている。
インターネットが当たり前になって、通知をいつでも受けられる今では、承認欲求との付き合い方がとても大事だと思う。
なるべく三次元で満たした方がいいという感覚もある。
自分の軸を持て、とよく言われるが、それは承認欲求に流され過ぎるなということだと思う。
これが受けそうだな、と思って行動していると、本当に自分の満足することがわからなくなったからだ。
これからも承認欲求に苦しめられたり、上手く作用したりして生きていくが、自分の大切にしているものを見失わないでいたい。
次元を越えて
今週のお題「私のアイドル」
「対象は人物に止まりません。画面の向こう側へ」という趣旨が説明に書いてあったので、二次元アイドルで参加したいと思います。
私にとってのアイドルは、元気をくれる存在です。(よくあるやつ)
元気いっぱいに歌ったり踊ったりしているのを見ると、とても元気になります。
私が二次元アイドルに出会ったのは中学生の時。ライブ中継を見たのがきっかけです。
人間関係に積極的な性格ではなかった私は、芸能人にもあまり興味を持てずにいました。
そんな時、偶然見かけた二次元のアイドルライブは、とても不思議な光景でした。
人間のような、でも人間ではない存在が元気いっぱいに、表情豊かに踊っている。
映像なので、早着替えも、魔法の光りに包まれてパッと衣装が変わっていました。
なんかよくわからないけどすごい、と思ったのを覚えています。
それから二次元のアイドルを好きになり、ライブを何度も見るうちに、アイドルの良さを知りました。当時は二次元に固執していた私も、今では三次元のライブを見てかっこいい、かわいいと思うようになりました。
このようにアイドルを好きになったきっかけは少し変わっていますが、今では色々なアイドルが存在する世界にありがとう、と思っています。これからもその輝きでファンの皆を笑顔にしてね、と。
ところで、アイドルのファンには、色々なスタンスがあるようです。雲の上の存在、会いに行ける、本気で恋をしている、などなど。
私の場合は相手が二次元なので、触れられることも、本人(?)の気持ちも知りようがありません。
つまり、殆どを妄想で補っていて、それがとても楽しいです。
相手が三次元の場合はまた違うスタンスになると思います。でも、三次元であっても、妄想の余地というのは、アイドルファンを楽しむ要素であると思います。
例えば、ライブ中に目が合ったとか、ファンレターを楽しみにしているとかです。
常にアイドルの側にいるわけではない以上、自分の知らない部分はあるはずです。
その空白の部分を妄想で補うのも面白いと思います。
大切なのは、真実ではなくて、アイドルのライブで楽しむこと、夢を見せてもらうことだと思うからです。
人に迷惑をかけない範囲で楽しむのがコツだと思っています。
アイドルが好き過ぎて頭から離れなくなってしまった時は、そのアイドルの曲をウォークマンで聞いて、私だけのために歌ってくれてる、という妄想をしています。
性的な被害に鈍感な人の話
性的な被害に鈍感な人、といえば男性だと思うかもしれない。しかし性的な被害に鈍感な女性も存在すると思う。
痴漢が存在することは知ってるし、被害者がものすごく苦しんでいることがSNSなどから伝わってくる。
でも、私は被害に会ったことがないので、本当の意味では理解していないのだろう。
それが夜に滅多に出歩かないからか、女の子らしい服装をしないからか、理由は色々あるんだろうけど、とにかく実感として、性的な被害に会ったことは無い。
ただ、被害では無いけれど、何かにつけて女の子なんだから、と言われることが多い。
女の子なんだから、
お化粧をしなさい、なるべく早く帰りなさい、一人で歩くな、一人暮らしは危ない、など。
これらをしなければならない理由は理解できているつもりなので、ちょっと不自由に思うことはあるが、なるべく実行するようにしている。
ネットで痴漢の心理とかストーカーの心理についての記事を読んだりもしている。
その中でふと思ったのは、もし私が男性だったら、迷惑な話だということだ。
痴漢には冤罪があって、冤罪で人生を台無しにした人が多くいる。
私が見聞きした中では、痴漢の女性加害者は聞いたことが無い。
だから、女性が痴漢の冤罪をかけられることは少ないんじゃないかと思う。
女性でよかったことがあるとしたら、その辺かもしれない。
ところで、痴漢の心理で、性的欲求から触るのではなく、ストレスでむしゃくしゃして自分より立場の弱い人間に屈辱を与えるために痴漢をする、というのがあるらしい。
女性を同じ人間としてみなしていない、という説もある。
人に迷惑をかけずにストレスを解消する方法や機会が増えればいいと思うし、性別に関係なく相手を尊重するのがあたりまえになってほしい。
二次創作が流行る理由
星です。二次創作が流行っている理由について、私の考えを書きます。
日本では二次創作が流行っています。コミケに多くの人が集まるし、二次創作という言葉を聞いたことがある人も多いんじゃないかと思います。
インターネットで同志を見つけやすくなったから、二次創作に触れる機会が増えたから、など様々な理由があると思いますが、私が考えたのは、妄想癖の人が増えたから、という理由です。
妄想癖の人が増えた要因を2つ考えました。
まず1つ目。日本では、暗黙の了解という文化があります。言わなくても解るでしょ、というあれです。
この文化圏で生きていくためには、想像する力が必要になります。行間を読む必要があります。よって妄想力が鍛えられます。
2つ目は、心を許せる人間関係が結びにくいことです。
SNSが発達し、情報を素早く拡散できるようになり、友達と言っても気を許せないことが多くなりました。そういう状況で心を許せる存在は、自分のみです。
自分こそが安心でき、何でも話せる存在になるので、自分自身が相談相手になります。その場合、自分の発言に対する返答を考えることで、妄想力が鍛えられます。
以上、2つの要因から妄想力を鍛える場面が増え、妄想癖の人が増えたから二次創作が流行ったのではないかと私は考えます。
妄想癖は悪いことではなく、生きるために必要な場合があると思っています。私は妄想で乗り切ったことがたくさんあるからです。
癒し系女子
上手くいかないこともある。何となく調子が悪い時がある。
そんな時、側にいて励ましてくれる人はいますか?
私はいます。女の子です。二次元の。
落ち込んでいたり悩んでいる時って、案外、アドバイスがほしいわけじゃありません。
ただ自分の話を頷いて聞いてくれて、がんばったね。あなたなら大丈夫だよ。とか言ってほしいわけです。
でも大人になるとそんな天使は身近にいない…。
いや、二次元の女の子がいる。
彼女達は無条件で私を受け入れ、励ましてくれます。
持ち前の明るさ、無邪気さを以て元気をくれます。
彼女達と私の住む世界は違うので、お前が言うな、とは思いません。
寧ろ、住む世界が違うのに私のことを励ましてくれるの!?ありがとう!
という気持ちになります。
彼女達は輝いている。その輝きで私は生きている。
その輝きを作ったのはこの世界の住人である。
そう考えると、この世界も捨てたもんじゃないな、と思います。