「誉める」と決めた日
ブスって最低な言葉です。女性なら、一定期間言われ続けたら自殺できると思います。
今、強く感じている感情は「怒り」です。
番組で、いわゆるブスいじりを見るたび、チャンネルを変えていました。今もそうです。
命は尊い、ということをよく聞きます。それなのに、生まれ持った容姿をバカにして傷つけるのはあまりにも矛盾が過ぎると思います。
正直、女性の芸人さんや昔の知人などでブスいじりをされても生きている人はとても強いと思います。
というのも、昔誰かに言われた批判は、ふとした時に蘇り、しにたい気分にさせてくるからです。
だから、私は「誉める」ために生きています。
誉められたことは絶望の中にいるときは思い出せなくても、心が前向きになったときにふと思い出して、生きる力をくれるからです。
私はこのブスいじりが蔓延る国で、批判されても生きている女性が大好きです。
だからこそ、ひとりでも多くの人が自身を持てるように、「誉める」ことを続けます。
性は残酷
個人的に、性は残酷だと思います。
ニュアンス的には、性対象が近いでしょう。
相手と恋愛をする、という前提で測ると、たいてい審査が厳しくなる気がします。
経済力、周りからの評価、性的魅力、などなど。
個人的な考えですが、「友達」は人数も多くなりやすく、また関わり方の深さも幅があるからこそ、あまり厳しい審査は無いのかもしれません。
本人が「友達」と呼ぶのが嫌であれば、「知り合い」とも呼べますし。
ただ、「恋人」や「パートナー」となれば話は変わります。
基本的に一人対一人の関係ですし、友達の最高峰である「親友」よりも重い何かを感じます。
社会的にも、個人的にも大きい意味を持つからこそ、「恋人」に対する審査は厳しくなるのかもしれません。
厳しい審査をクリアするのは大変なので、それなら「友達」でいたほうが楽しいかもしれませんね。
「友達」の範囲は本当に広いですから。
お金は幸せへの手段
お金=幸せではなく、あくまで幸せを手に入れるための手段である、と私は考えています。
ただ、実際にやりくりをする立場になると、どうしてもお金に執着してしまう今日この頃です。
若者の○○離れだの、浪費の図鑑だの、コンテンツの継続にお金が必要だの、お金に纏わる話は色々ありますが、自分にとってお金や好きなことはどういうものか、を把握しておくことが大切だと思います。
資本主義の中にいると、本当の愛が何かわからなくなる、という話を聞きました。
私は私なりの愛を大切にしたいので、資本主義の社会とプライベートのバランスを上手くとっていきたいです。
資本主義の中では、愛=お金になるのも無理はありません。
だからこそ、資本主義だから、ではなく、自分ならどうするか、を考えてみる必要があると思います。
オタクとか、運営とか、消費者とか、そういう括りがなくても、適度に幸せを感じられる生き方をしたいです。
同性キャラに恋する方々へ
キャラクターって魅力的ですよね。恋したキャラが同性だった、ということもあると思います。
まあ私自身がそうなのですが。
でも、考えてみてください。性別を理由にした関係って、そんなに素晴らしいものでしょうか。
もちろん、人間にも生殖があり、男性と女性で協力して新しい命を産み育てるというのはわかります。
ただ、人間には動物とは違う部分もありませんか。
つまり、本能以外の面も持ち合わせていると思います。
社会、友達、家族などです。
そういった人たちと性的なお付き合いをしているわけではないはずです。
人間的な関係というのは、人生において財産になると私は考えます。
恋人からであっても、「お前とヤりたいだけ」とか言われたら嫌です。
だから、もし性的な意味以外で誰かを好きになったとしたら、それを誇りに思ってほしいです。
それこそが、豊かな感性だと言えるのではないでしょうか。
キャラを好きになったことを、どうか誇りに思ってください。
それは、とても素敵なことなのです。
性だけだと思わないでほしい
オタク=性的、というイメージがあります。
頻繁に性的なオタクコンテンツに出会うので、まあ仕方ないことだとは思いますが。
正直、私自身、性的な要素抜きでコンテンツを楽しんでいるかというと、やはりそれは違います。
ただ、オタクコンテンツにあるのは、性的な要素だけだとは思わないでほしいです。(大変難しいことですが)
キャラが普通に可愛かったり、こういう世界に住みたい!と感じたり。
こういう友達や兄弟がほしい、と思ったりします。
それから、ある目標に向かってがんばったり、キャラが成長していくストーリーを見ることや、コンテンツそのものが大きくなって、イベントの動員数を増やしたりしているのを見守るのはとても楽しいです。
私は女性キャラを主に愛好しています。その要素の中に性的なものがないとは言えません。
しかし、そういう要素も含めて可愛いと感じるし、コンテンツの歴史や、何よりキャラの性格、ポジションが大好きです。そのキャラの出番は全力で応援します。
性的なものが溢れて、さらに速いスピードで消費されがちなコンテンツだからこそ、自分はずっと愛し続けようと思います。
内面を愛せるように
内面は大事!、と言いつつ、ルッキズムという概念があります。
ようは、見た目は大事!というやつです。
人間は内面が勝負だと言っても、最初は見た目しか情報が与えられません。
ネットなどの文章のやり取りや声を聞くより、見た目で与えられる情報は多いです。
百聞は一見に如かず、という諺もあるくらいです。
何が言いたいのかというと、結局現実では見た目重視だよね、ということです。
ここで、話を二次元に移します。
二次元の特徴は何でしょうか?
その一つに、みんな美しい、というのがあると思います。
作画がきれいじゃないとなかなか見てもらえない、それ故に美男美女ばかりになりがちです。
いわゆる不細工は、意図的にでないと描けません。
ということは。ということは、です。
みんな美男美女。容姿レベルは同じ。
ということは…??
内面で勝負だ!!!!!
そうです。内面で勝負です。
あら不思議。現実世界の壁、ルッキズムが取り払われました。
キャラの好みこそあれ、殆どのキャラが美しいので、あとは受け取り手の好みの問題ですね。
究極的には、深い関係は、内面を深く知ることが重要になると私は考えています。
だからこそ、二次元の、自分の好みを追求すると、ルッキズムに囚われない何かが見えてくるかもしれません。
とあるオタクの散財観
オタクは散財(お金を使いまくる)するものだと思います。
グッズを買い、アプリに課金し、公式の存続を願って貢ぎます。
私もそのひとりですが、缶バッチは買わない、欲しいものだけ、一種類につきひとつ買う、というマイルールがあります。大前提として、単に好みの問題です。
ふと思い立ったので、書いておこうと思います。
1缶バッチは買わない
着けていく機会がないというのが理由です。オタク活動がんばっている人なら、同人誌即売会やライブやイベントに着けていけるのですが、私はあまりそういうイベントに参加しないので。
友達と遊ぶときなどに身に付けるなら、キャラの絵が描かれているものより、わかる人にはわかる、モチーフ的なグッズが好みです。
2一種類につきひとつだけ買う
アクリルキーホルダーの無限回収や、使う用・布教用に分けて買わないという意味です。
好きなキャラのグッズが出たら、実用性や、自分の好みと相談して買います。
あまりにもグッズのデザインが好みでなかったら買いません。あと値段が狂ってる時。
3衝動買いの防止
もともと、財布の紐が緩みやすい性格なので、衝動買いしやすいです。
衝動買いしたものの、そのグッズが引き出しの奥で眠ってしまったり…。
なので、一度欲しい!と思ったあと、考える期間を設けるようにしています(なかなか守れていない)。
お店なら、いったんお店の外に出てみたり、ネットで情報を得た時は、過去に似たようなグッズが出たかどうかを検索したり。
買いたい衝動が強くて、でも絶対すぐ使わなくなる…と思うものは、メルカリを見ます。
新品のグッズでなければそのまま相場を、新しく発売のものは、自分の好きなジャンル以外で似たようなグッズを探します。価格が低くなっているのを見ると、冷静になれることが多いです。
以上、個人的な散財観でした。
私はマイナーなジャンルを数年間(十数年?)愛する人間なので、昔熱を上げていたジャンルのグッズも未だに持っています(数が少ないだけ。売れるほどの保存状態じゃないだけ)。
過去のグッズを見ると、懐かしい気持ちになれるので好きです。
今の多数派ではないですが、オタクでいて、とても楽しいです。