「2.5次元」の男女差
ネットサーフィンをしていたら、面白い話題を見つけました。「2.5次元舞台」は主に女性向けで流行っていて、男性では流行らない、というものです。
これについて、私の見解を書きます。
ちなみに、ここで言う「2.5次元」は、声優ではない人がキャラを演じるものを指しており、声優本人が演じるものは含みません。
私は男性と女性の考え方の違いをよく調べるのですが、私が特に面白いと思うのは、恋のしかたの違いです。
男性は相手を見た目重視で、第一印象でアリかナシかを決定するそうです。それに対し女性は、相手を見た瞬間にアリかナシかを判定するのではなく、相手の行動を見ていたり、長く一緒にいるほど思い入れが強くなるそうです。また、「ギャップ萌え」も多いそうです。第一印象で、清潔感が無いなどの判定基準はあるようですが。
こうした、恋の男女差を当てはめて考えると、「2.5次元」の人気についても説明できそうです。
男性が「見た目」を重視、女性が「ストーリー」を重視すると考えます。
そして「2.5次元」は「ストーリー」を重視するものだと思います。二次元の「原作」がある以上、「見た目」において原作を超えることは難しいです。演じる人も声優ではないとなると、声が違うことをカバーするだけの強みが必要です。
それが、「ストーリー」だと思います。
ここで言う「ストーリー」は、単なるシナリオのことではなく、その舞台の演出だったり、キャラを様々な角度から見えることや色々な表情を見せてくれることによる新しい発見のことです。
男性が「ストーリー」を重視しないとは思いませんが、そもそも第一印象でナシと判定したものは「ストーリー」まで進まないと思います。
それに比べれば女性は第一印象でアリかナシかを判断せず、とにかく「ストーリー」を試してみてから判断する、という傾向があるため、「2.5次元」も受け入れ易かったのだと思います。
以上、独断と偏見の見解でした。
ちなみに、女性的な考え方の男性も、男性的な考え方の女性もいるということなので、あくまで全体の傾向の話です。
私がキャラを好きになるきっかけは「見た目」なのですが、決定的に愛着が沸くのは「ストーリー」を知った後です。ハイブリットの場合もありますね。
曖昧って大切
曖昧なことは、とても大切だと、最近感じます。
曖昧でなくすためには、言語化したり、数値化するのが一般的です。
最近では色々なシステムが生まれ、多くのことが数値化されるようになりました。
ブログも誰でも始めやすくなり、言語化も進んでいると思います。
言語はまだ曖昧な要素もあるので、今回は数値化について書きます。
結論からいうと、私はすべてを数値化してしまうのは嫌です。
個人的な考えですが、思い込みや宗教などは、良くも悪くも、大きい力を発揮すると思います。
だからこそ、良い方向へ向かう思い込みは大切だと思うのです。
数値化は、数値にすることで比較が可能になったり、客観的に見えるので、事実を突きつけることになります。それは、正論を言うようなものですが、必ずしも人に良い影響を与えるとは限りません。
例えば、「人気」。Twitterの「いいね」やブログのスターなどは、人気の指標になり得ます。
しかし、人気はそもそも曖昧なものです。「いいね」は「読みました」という意味や義理でつける場合もあります。スターに至っては、1つのアカウントで何個でも付けられます。
だから、必ずしも「人気」という理由で付けられていないのです。
そういった、「数値では測れないこと」がこの世界にはたくさんある、と考えることで、数値化戦争の苦しみから逃れられるのでは、と思いました。
実際はそれほど数が多くなくても、「たくさん応援、共感してくれる人がいる」と本人が感じるだけで、めちゃくちゃがんばれたり、嬉しくなったりするじゃないですか。(私はそうです)
お金など、数値であるべきものも必要ですが、敢えて数値化しないほうがいいこともあると思います。
クリスマス
クリスマスイブですね。せっかくなので書きます。内容は、明るくないです。
商業施設は、基本的に今日が最後のクリスマスですね、きっと。クリスマス気分で買い物するなら、おそらく25日の朝では期限切れな気がします。
最近見たアンケートでは、恋人よりも家族とクリスマスを過ごす人が多いそうです。少し疑問に思ったのですが、皆、そんなに家族と仲良いのでしょうか。なんというか、クリスマスパーティーをしたり、一緒にケーキを食べるほど。だとしたら、すごく微笑ましいですね。
あと、家族は、既婚者の方々も含まれると思うので、恋人と家族とで項目を分けると、カップルで過ごすかどうかが少しわかりにくいですね。
もうサンタさんもやってこないし、ホールケーキは確実に胃もたれするので、普通に好きなご飯を食べます。クリスマスとは…。
以上、自己満足の記事でした。
クリスマスグッズは衝動買いしがちですが、そのあと一年間お蔵入りになるのが悲しいです。
魔法使いで在りたい
魔法って素敵ですよね。どんなことでも叶えてしまうもの。
今って、わりと何でも叶うと思うんです。ドラえもんのグルメなんとかっていう秘密道具みたいに、蟹食べたいなーと思えばネットで蟹を注文したらいい。
何でも叶うようになったからこそ、今度は「望む力」や「願う力」がとても重要になっていると思います。
魔法使いって、もしかすると「魔法をどのように使うか」「どのような手順で使えば目的を達成できるか」を考える職業なんじゃないかと、最近思うようになりました。
そう考えると、ちょっと夢がないような気もします。けれど、魔法使いが長けていたであろう「願う力」を大切にしていきたいです。
「願う力」が簡単に潰されてしまいそうになる現代だからこそ、大切にしたいです。
自分に価値を提供するということ
お金とは、価値とは何だろう。最近は、そう考えることが増えました。
オタクにとっての死活問題だからかもしれません。
「100円のコーラを1000円で売る方法」という本を読んだことがあります。
そのままでは100円の価値しかないコーラも、リゾートホテルのような快適な空間でルームサービスとして出せば、例え価格が1000円だとしても客は買う、という感じの内容だったと思います。
つまり、客本人に「○○円だけの(とても高い)価値がある」と思わせたら勝ち、ということかもしれません。
この話は、いわゆるソシャゲにも応用できると思います。
課金などで手に入るカードは、もちろんそのデータに価値があるわけですが、カードの画像、演出も重要であり、元はと言えば、そのゲーム自体に(客にとって)価値がある必要があるわけです。
その価値とは、仲間に認められることだったり、そのゲームをより楽しくすることだと思います。
仲間に認められる、つまり承認欲求は置いておくとして、「自身が楽しむ」という部分に注目すれば、ある意味、「価値の自給自足」が可能かもしれません。
やり方は簡単です。
1自分を「どんなことでも楽しめる」精神状態にする
2自分の思う「楽しいこと」を用意する。(自分のことを一番理解できるのは自分です)
3「2」の手順を無かったことにして、ひたすら楽しむ
※多重人格的な能力が必要になります
…まあ、だいたいのエンターテイメントは、手順2を提供してくれるものです。
だから、自給自足と行かなくても、手順1をコントロールできるようになれば、もっと充実した楽しみ方ができると思います。
難しいですけどね。
百合と肯定
私は女という生き物が、とても面白いと感じます。
理由を一言で表すと「複雑だから」です。
まず始めに、ここで言う「女」「男」はあくまで私の思うの傾向であって、例えば「女らしい性格の男」は「女」に含めることになりますし、どちらの考え方も持っている人が大半だということが前提です。
百合は、女キャラが主役のジャンルです。百合をゲームに例えると、「女である」というルール(もしくはテーマ)が課せられている、と私は考えます。
つまり、作者が女だろうと男だろうと、「女である」という命題に向き合うはずです。
作者が男だと、「自分の理想の異性」「もし自分が異性だったら」という感じだと思います。
作者が女だと、「自分の理想の同性」の他に「自己投影」「過去の経験」「自分の本音」など、同性ゆえに深く入れ込んでしまう要素もあると思います。
私はよく、BLと百合の違いは何か、と考えるのですが、もしかしたらそれは「女を肯定すること」かもしれない、という考えに至りました。
私は二次創作で百合を書いたことがあるのですが、それはもう、ひたすら自分との戦いであり、自分を肯定すること無しには進まなかったと感じています。
最初にも書いたように「複雑」なものであり、それを少しずつ肯定することが、私の百合に対する楽しみ方、スタンスだと思います。
恋をしたらネジが飛んでいってしまう女の子ポエムが私は好きです。
「誉める」と決めた日
ブスって最低な言葉です。女性なら、一定期間言われ続けたら自殺できると思います。
今、強く感じている感情は「怒り」です。
番組で、いわゆるブスいじりを見るたび、チャンネルを変えていました。今もそうです。
命は尊い、ということをよく聞きます。それなのに、生まれ持った容姿をバカにして傷つけるのはあまりにも矛盾が過ぎると思います。
正直、女性の芸人さんや昔の知人などでブスいじりをされても生きている人はとても強いと思います。
というのも、昔誰かに言われた批判は、ふとした時に蘇り、しにたい気分にさせてくるからです。
だから、私は「誉める」ために生きています。
誉められたことは絶望の中にいるときは思い出せなくても、心が前向きになったときにふと思い出して、生きる力をくれるからです。
私はこのブスいじりが蔓延る国で、批判されても生きている女性が大好きです。
だからこそ、ひとりでも多くの人が自身を持てるように、「誉める」ことを続けます。