二次元も三次元も愛したい

女キャラの夢女子

「愛してる」の偉大さ

「愛してる」「大好き」は、魔法の言葉だと思います。

唱えるだけで、なんだかしあわせな気分になるからです。

 

私にはいわゆる「推し」がいます。一時期はたくさん貢いだりもしましたが、今は落ち着いています。お金も時間もたくさんかけたことは、私の人生の宝物です。

今、推しに対しての気持ちは「愛してる」「大好き」です。

ふとしたときに、心のどこかで優しい笑顔を思い出すような、温かい存在です。

ところで、「恋」と「愛すること」は違うものらしいです。

「恋」は相手に対して夢やロマンを重ねて見ること。「愛すること」は、相手の良いところも悪いところも両方受け入れ、共に過ごす覚悟をすること。だそうです。

私は最近、この考え方に共感するようになりました。

私の推しは二次元キャラクターなのですが、私はそのキャラが好きだからこそ、ペンタブを使ってパソコンで絵を描いたり、妄想をワードで打ち込んだり、動画をたくさん見たりしました。

その結果、少し目がおかしくなりました。症状は割愛します。

ただ、目を使いすぎたことが原因なのは間違いないと思います。もちろん、私の、目の扱い方が悪かったことも原因ですが。

そこで、ふと思ったことがあります。「推しに出会わなければ、私は健康でいられたんじゃないか」と。

大好きだった推しを憎むようなことを考えたとき、思い出したのが、「愛すること」の話でした。

「愛すること」は、相手の良いところも悪いところも両方受け入れること。

推しと出会ったことで、私は無理をするようになった部分もあるかと思います。しかし、推しのおかげでがんばれたことがあったり、楽しいと思うときがたくさんありました。

だからこそ、私は今、「いろいろあったけど、あなたを愛してる」と言いたいです。

もしかしたら、推しと出会わなければ、健康でいられたかもしれない。もちろん、たまに後悔はしています。

それでも、悪かったことに負けないくらい、楽しかったことを経験できたと捉えたいです。

そして「愛して」いたいです。

それだけで、報われる気がするから。

 

 

 

 

 

 

 

 

お金と時間としあわせ

お金と時間って大事ですよね。

「お金よりも時間の方が大事」という意識を持って過ごすと、しあわせになれるそうです。

 

それはさておき。

大学生と社会人に関して、考えたことを述べます。

大学っていく意味あるの? という疑問をよく聞きます。私は、日本が「子供は大学まで通うのがふつう」と考えている間は、大学を卒業しておく意味があると思います。一般的に、日本は「みんなと一緒」が好きですし、その大学の先輩に優秀な方々がいれば、「同じ大学の後輩だから」という理由で、OB訪問などに応じてくれるかもしれません。つまり、チャンスが増えます。

一方で、「奨学金という借金をしてまで大学を卒業する必要があるのか」という議論もよく見かけます。

少子化の今、「親がひとりの子供に多くのお金を掛けること」を狙ったビジネスが多くなっていると感じます。

大学や受験という制度があるおかげで、親はひとまず「大学」というゴールを目指して子供の教育にお金をかけます。

習い事や塾などの人から人へ知識や技術を教える仕事は、形のある商品とは違い、原価がはっきりしないため、値段がいくらでもインフレーションできると思います。

講演会や有名な絵の先生など、教える側の人材価値が上がれば、その人はいくらでも稼げます。

これが格差につながることもあります。

奨学金という借金をしてまで大学を卒業する必要があるのか」という話に戻りますが、大学や教育市場があるからこそ、大学に行くメリットが増えるし、お金を稼ぐ理由を作り、卒業生や親を働かせて経済が活発になります。

その分、娯楽にかけるお金は減りますが。

とはいえ、教育自体はなくてはならないものですし、格差社会では、個人が知識や考え方を身につけて賢く生きる必要があります。その点、若い頃の大学の猶予時間はあったほうがいいものだと思います。バイトと授業ばかりで自由な時間がないのならば大変ですが。

重要なのは、個人が積極的に自分の将来を予測して考えて動くこと、そして、国が優秀な人材を育てるために税金を使うことだと思います。個人も国も、お互いに依存し過ぎては潰れてしまいます。

自己責任論は残酷ですし、全てを国のせいにして全く行動しないのも違うと思います。

将来をそれなりに考えながら、貯金を積み重ね、少しでも自分の価値を高めて、静かに息を潜め、チャンスが来たら飛び込むという生き方をしたいです。

小さなしあわせを感じながら、生きていくために。

 

 

 

 

 

 

 

 

現実逃避という娯楽

私はなぜ百合を好きでいるのか、そして百合やBLが存在するのか。

これに対する考えのひとつを書きます。主に異性愛者視点です。

「同性を対象にした恋愛」をコンテンツとして考えると、「理想が壊れにくい」のではないかと思います。

人と人が深く付き合ってこそ愛憎が生まれる、と私は考えています。

深く付き合うというのは、特に家族とか恋人を指しています。友達の場合、親友だと言っても、会う頻度などは融通が効くと思うからです。

人と人が深く付き合う仲で避けては通れないのが、イメージの崩壊です。

初対面の段階では、相手の性格などの大部分は、短い接触時間や、見た目などで判断するしかありません。そこで自然と形成されるのがイメージです。

イメージは経験が少ないほど楽観的なものになると思います。しかし100%現実を見抜けるスーパーマンなど存在しないので、イメージと現実には解離が生まれます。

このイメージの崩壊こそが、一種の絶望ポイントだと思うんですよね。

だからこそ、人は人生経験を重ねていくうちに、少なくとも自分の手の届く範囲に完璧な人はいないんだ、と気づくようになります。そして、妄想の、ファンタジーの中だけでもいいから、楽しみたいと思ったりします。

そして、妄想の、ファンタジーの条件として必要なキーワードが、「非日常」「現実逃避」だと思います。

現実を忘れて楽しむためには、なるべく現実と繋がっていないことが重要です。

ここで同性愛コンテンツの話に戻りますが、自分が異性愛者であるとしたら、「現実で同性と恋愛関係になる」可能性は極めて低いと考えられます。

だからこそ、自分が異性と関係をもっていないという劣等感を忘れられるし、「異性にモテる」という土俵で、自分と比べて落ち込むこともありません。

だからこそ、落ち着いて、自分を忘れて、それこそ「壁」や「観葉植物」になったつもりで鑑賞できるのではないでしょうか。

そういう意味で、百合やBLといった「同性愛コンテンツ」は異性愛者のためのものだと、私は考えます。

ファンタジーで現実逃避なのだから、現実の同性愛者の方々から「現実と違う」という批判が出るのは、自然な結果だと思うのです。

 

 

 

 

 

 

 

改めて、結婚と出産をしない理由

改めて、というのは、ここ1年でいろいろと考え方に変化があったからです。

簡潔にまとめると、

1ひとりでいるのが楽

2今世、大変

です。詳しく解説します。

1ひとりでいるのが楽、とは私の性格です。友達とたまに会うことは好きですが、私の場合、家族であっても他人と一緒の空間にいることは、それなりにストレスが溜まります。私が物音に敏感だったり、日常的に起こるプチ喧嘩みたいなものも、とても引きずります。「人にされて嫌なことは人にするな」という言葉がありますが、私は人にされて嫌なことのハードルが低すぎるうえに、その多くが特大ブーメランです。

2今世、大変とは、(まあいつ産まれても生きるのは大変ですが、)今の自分が既に大変な時代に生きていると思うということです。

「今、しあわせですか?」と聞かれたら、「うーん……」となり、しあわせだとは思えません。

衣食住には恵まれていて、そこはとても感謝していますが。

なぜしあわせじゃないかというと、生きるためにはお金を稼ぐ必要があり、何かにつけて「ブラック」という言葉を聞きます。生業であるはずの仕事でしあわせそうではなくとも、苦しんでいなさそうな人を、あまり見かけません。「生きることは苦しみ」という考えがそのまま当てはまっているのが現状だと感じます。

産まれたからには自殺は何か違うと思うので、生を全うしますが、「自分より後に生まれてくる命にこの世界をおすすめするか」と聞かれたら、「No」です。

 

 

人生には苦しいことが多いからこそ、「生きるのはすばらしいことだ」ではなく、「生きるのは大変だよ。苦しいよ」ということを言ってくれる大人がいてくれたらよかったと、大人になった今なら思います。それは決して自殺を勧めているのではなく、現状を冷静な目で捉えた、一つの意見です。

 

「今の若者は夢がない」という言葉を聞くことがありますが、夢を持つ必要はなく、毎日を地道に重ねていくことこそが尊いことだと、私は思います。

 

 

 

ズッ友とは

あるバレンタインの広告が炎上しました。これは題材が女性なので、思う存分語ります。女性の人間関係には、とても興味があるので。

まず私の見解では、件の広告は、女性どうしの友達関係は複雑だというメッセージを受けました。

表面上は波風を立てないように振る舞うけれど、本音はまた違っている、ということです。

結論から言えば、それは当たっています。日本の社会は全体的に空気を読む方がいいとされているのと同じだと思います。

特に女性はコミュニケーションを活発にする、または多くの言葉を交わす傾向にあるため、社会的に孤立することは、かなりキツいです。

また、女性のコミュニケーションは主に「共感」によって成り立っています。なので、相手が何かを「かわいい」と言ったら、一応「かわいいよね~」と同意するのが基本です。本音を話せるのは初対面ではほぼあり得ず、気の許せる仲間のみです。だから、「あなたはそういうの好きなんだね。私は好みじゃないかな」なんて会話をできるようになっていれば、仲良し度は高めだと思っています。「相手を否定しない」コミュニケーションをする人だと、私も好印象を持ちます。

私は女性の「複雑さ」が好きです。

「かわいい」と言っても、本音かはわからないことは多いし、本人に悪意はないのに、勝手にマウントを取られた気になることもあります。

嘘も本当も混じっているから、複雑です。それでも、それは必ずしも悪いことではありません。

嘘も本当も混じっているからこそ、「思い込み」の力で、良い方に勘違いすることもできます。

誉められたら素直に受けとったり、恋人ができたという報告があれば「誰かに言いたいほど喜んでいるんだ」と解釈もできます。

優しい嘘、という言葉もあるくらいですから、嘘も悪いことではない場合もあります。

 

今回の炎上は女性軽視だとか言われていますが、私は日本の国民性を表していると感じました。もう少し、本音を直接本人に伝えられる世界になったらいいなと思います。もちろん、適切な表現で。

 

 

 

 

自分の物語を紡ぐ

物語を作り出すことは、現実逃避だと考えていました。しかし、物語と現実は緩やかに繋がっているのではないかと、今では思います。

心理テストの1つに、「あなたは今、童話の絵本を開こうとしています。その絵本のストーリーを教えてください」というものがあります。

 

 

 

 

このテストでわかることは、「自分の生きたい人生がどんなものか」を表すそうです。

話が変わりますが、出来事を自分で起こそうと思えば、まずはその出来事が起こるように行動する必要がありますよね。さらに、その行動は、出来事の内容(ゴール)が決まらないと起こせません。

つまり、まずは「出来事を望む力」が必要であり、「出来事を望む」ことの1つとして、「物語を作る」という手段があると思います。

「妄想」とも言えるかもしれません。ただ、「妄想」によって自分の考えを知ることは、現実で行動を起こすことに繋がると思うのです。

 

自分語りになりますが、先ほどの心理テストでの、私の答えを紹介します。

登場人物はお姫様たちで、彼女たちはそれぞれに自分の考えをしっかり持って生きています。パートナーがいる人もいない人もいて、彼女たちはお互いに仲良しです。

 

このように、とても短いのですが、自分でも驚くほど自分の価値観を繁栄していると感じました。

お姫様たちは恐らく、自分と自分の友人たちを表しているのでしょう。お互いに依存するのでも、縁を切ってしまうのでもない。「あの子元気にしてるかな」と時折思い出せたり、たまに時間を作って話し合ったり。そういう友人関係が、私の理想です。

私は日常系のお話が好きでもあるので、案外、現状に満足しているのかもしれないと思えました。

 

物語は現実と繋げられる。そう考えることで、より物語を楽しめると思います。

 

 

 

音楽のダウンロード数

CDの売り上げ枚数でランクをつけることで、曲の人気を測る方法があります。

これは、今の時代に合っていないよく言われますが、私もそうだと思います。

 その理由の1つが、いわゆるアイドルの握手券などの特典の存在です。

「楽曲そのものを所有する」という目的でCDを買うなら、大抵は1つで充分です。しかし特典が付いていた場合、その特典のほうがCDよりも欲しいという場合が出てきます。特に、特典が何種類もあったり、当たりはずれのある、イベントの抽選券だったりすると、ひとりがCDを複数買う理由ができます。

つまり、「CDの売れた枚数」は「その音楽を所有した人の数」と一致しないわけです。

そこで、ダウンロード数に注目してみます。

ダウンロードは基本的に、所有者にとって、1回ダウンロードすれば充分だと考えられます。

データの取引なので、所有者が(回線が繋がる場所なら)どこにいても取引でき、店舗などで物理的に音楽を受けとる必要がありません。そのため、(紙の)イベントの抽選券などの特典は渡しづらくなります。

要するに、楽曲のダウンロードであれば、特典目当てで1人が複数買うという事態が、CDで買う場合に比べて少なくなると考えられます。

だからこそ、「ダウンロード数」は、「ダウンロードにより、音楽を所有した人の数」とほぼ同じになると思います。(この場合、「CDを買ったりCDからダビングして音楽を所有した人」は含まれませんが)

 

 私が強調したいことは、CDの枚数よりもダウンロード数のほうが、その楽曲自体の評価に適しているということです。

私の知識不足で、ダウンロードよりもCDが売れないと困ることについての理由はわかりませんが、「楽曲の評価」という面で見ると、ダウンロード数のほうが(楽曲そのものを目的としているという点で)自然な動機を測れると思いました。

 

個人的には、ランキングは1つの目安で、自分のお気に入りの曲に出会えることが嬉しいです。

そしてその曲を産み出してくれた作者さんに感謝しています。

作曲する側も聞く側も楽しく続けられる仕組みが理想的ですね。