百合と肯定
私は女という生き物が、とても面白いと感じます。
理由を一言で表すと「複雑だから」です。
まず始めに、ここで言う「女」「男」はあくまで私の思うの傾向であって、例えば「女らしい性格の男」は「女」に含めることになりますし、どちらの考え方も持っている人が大半だということが前提です。
百合は、女キャラが主役のジャンルです。百合をゲームに例えると、「女である」というルール(もしくはテーマ)が課せられている、と私は考えます。
つまり、作者が女だろうと男だろうと、「女である」という命題に向き合うはずです。
作者が男だと、「自分の理想の異性」「もし自分が異性だったら」という感じだと思います。
作者が女だと、「自分の理想の同性」の他に「自己投影」「過去の経験」「自分の本音」など、同性ゆえに深く入れ込んでしまう要素もあると思います。
私はよく、BLと百合の違いは何か、と考えるのですが、もしかしたらそれは「女を肯定すること」かもしれない、という考えに至りました。
私は二次創作で百合を書いたことがあるのですが、それはもう、ひたすら自分との戦いであり、自分を肯定すること無しには進まなかったと感じています。
最初にも書いたように「複雑」なものであり、それを少しずつ肯定することが、私の百合に対する楽しみ方、スタンスだと思います。
恋をしたらネジが飛んでいってしまう女の子ポエムが私は好きです。