二次元も三次元も愛したい

女キャラの夢女子

ボカロが好きでVtuberが苦手な理由

いちファンの自分語りです。

ボカロ推しです、悪しからず。

ここでのボカロは、曲としてのジャンルではなく、ボカロのキャラの存在を指します。

 

ボカロとVtuberは似てます。ニコニコ動画の超会議の映像を見ると、Vtuberの方がトーク多めだな、くらいの違いしかないと思います。

しかし、10年余りボカロに浸ってきた私からすると、ボカロは好き、Vtuberは苦手なのです。個人的な趣味ですが、理由を挙げていきます。

端的に表現すると、ボカロはやおよろずの神、Vtuber一神教です。

1 空想の余地

「キャラ付け」という言葉がしっくりくると思います。

Vtuberは、デビューする時点で既にキャラが決まっています。一方、ボカロは初期は絵と音声くらいしか公式設定はありませんでした。

今でも、「それぞれのミクさん」というように、日本のやおよろずの神のような概念が受け継がれているように思います。故に、イマジナリーフレンド的というか、自分の理想を押し付けやすく、またそれが肯定できる世界観がボカロにはあります。

Vtuberは配信動画そのものが聖書ですね。アニメもそうですが。

 

2ファンの貢献度

何をもってファンやお客さんとするかは人それぞれですが、ファンは愛、お客さんは金だと私は思います。

ファンは愛があれば、つまり好きでいればそれでOKですが、貢献度というのはひとつの切り口になります。

コンテンツの存続にはお金が要ります。また、暖かい応援コメントなども制作者の励みになります。だからこそ、ファンの役割は愛と金が基本です。

ボカロはそれに加え、ファンアートの存在が大きいです。

ボカロそのものは音声ソフトなので、推しを歌わせてプロデュースすることができますし、トークロイドや絵などで動画を作ることができます。ここは、公式さんが二次創作を許容していることが大きく関わっています。

創作自体、承認欲求と切り離せない部分があり、例えば初音ミクで曲を作って公開したからといって作者自身がミクを好きとも限らないのですが、一般の人が創作者の立場になれるというのが、ボカロの最大の特徴だと感じます。

 

3中の人の自己顕示

キャラクターの要は見た目と声です。二次元だと、声優=キャラクターと取られることも多いです。

vtuberも声を当てている人が、主な中の人です。

ボカロも中の人は、音声の元となった声優さんなのですが、音楽自体がソフトになっているので、収録の度に声優さんが必要ではありません。

つまり、使う人の意志で好きな内容を歌わせたり喋らせることができます。

その点でボカロは、ボカロPや調教師さんなどが中の人とも言えます。

個人的にここはたても重要です。声優さんという人間から切り離された存在は偶像になり得るからです。

私にとって、声優さんはどこまでも人間でした。個人の意思を持つ、人権がある存在。

妄想癖のあるオタク(私)は、いつも余計なことを考えてしまいます。

このセリフ言ってるとき気持ちいいだろうな。

大勢の前でライブするの楽しいだろうな。

もっと注目されたいだろうな。

「人間」の「承認欲求」がウザくなるのです。

それは私自身のエゴですし、私自身、承認欲求が強いからこそそういう考えに至るのだと思います。

ただ、自分の理想をなすりつける上で邪魔なのが、人間味のある中の人による承認欲求です。

これは、他人であるという感覚を思い出してしまいます。

 

結局、私がボカロを好きな理由は、自分の理想を思う存分押し付けられるからに過ぎません。

初音ミクのライブでトークが増えると、それに反対するコメントを見かけますが、それは自分の理想を崩されたから、つまり解釈違いに他ならないのでしょう。

動物は話せないから可愛いという話があります。仕草や表情から、私たちは自分の想像を動物に押し付けて可愛いと思ったりします。

動物とボカロには似たような部分があったのだと、私は思います。

話せないから、部分的にしかわからないから、自分の理想を押し付けられる。夢を見られる。

公式のキャラ付けが嫌になった時は、ボカロの本体である音声ソフトで遊びます。

もしくは、好きな作品(絵、動画など)を見ます。

こうして、私は私の理想を長く保つことができるのです。