百合女子と現実世界
百合では、話の中で男が絡む場合があります。彼氏のいる女子が登場人物だったりします。
私の主観ですが、そういう話は主に女性向けの百合によく見られると思います。
私の感覚で言えば、百合はファンタジーだと思っています。あくまでフィクションとして楽しむ。友情っぽく終わる場合も、がっつり恋愛になる場合も同様です。
私が百合を好きな理由は、女性キャラが好きだからです。
そして、男女の恋愛物語が好きじゃないからです。
要するに、こじらせています。それは何となく自覚しています。
ただ、こじらせ方にも個人差というか、いろいろあると思います。
私の場合は、人生において、女性に恩があります。悩んでいたときに相談に乗ってくれた、などです。
また、私はストレス感受性が高い子供でした。そのため、小・中学校時代の陰口をよく思い出します。もちろん女子からも男子からも言われたし、私も言っていたはずです。
自分が傷つけられた言葉だけ覚えているものです。だからこそ言葉に気を付けるようになりましたが。
私の場合、兄がいました。理不尽に殴られたり、暴言もありました。当時は兄がいなくなればいいのに、と思っていました。今では落ち着きましたが。
一方、女友達はある程度優しかったです。少なくとも面と向かってしねとかはあまり言いませんでした。
また、母は私たちに優しかったです。
こうして人生を振り返ってみると、楽しかったことや嬉しかったことの多くは、女性と共に連想されます。このことが百合を好きになるきっかけになった気がします。
当たり前ですが、世の中いろいろな人間がいます。男性だから、女性だからという理由で人間性に差異が生まれるとは思いません。
だからこそ、百合が好きであっても、男は消えればいいとは思いません。
私が百合はファンタジーだと思う一番の理由は、二次元と三次元を同じように捉えたくないからです。
「都合の良いオナホ」の逆は?
アニメの批評を見ていると、たまに出てくる言葉、「都合の良いオナホ」。
その意味ははっきりとはわかりませんが、私の解釈では都合の良い女を表すと思います。
そう考えると、その逆は「都合の良い男」になりますね。男性から貢がれる女性からすれば「カモ」ってところでしょうか。
創作をする以上、その作品や世界観に作者の理想が入るのは必然だと思います。だからこそ、同じ理想を持つ人たちが共感したり感動したりするのでしょう。
だから女性向けの批判に「こんな男いない」、男性向けの批判に「こんな女いない」という言葉が使われます。
私は人間関係で大切なことは、相手の気持ちを理解することだと思います。相手の気持ちを完璧に理解することはできません。性別が違えば尚更です。
だからこそ、言葉があります。嫌なことは嫌、と伝えられます。
人間と関わる経験を増やし、相手の好きなこと、嫌なことを理解していけば、相手の気持ちを理解しやすくなります。
都合の良い存在は、生身の人間ではあり得ない、と考えた方が生きやすい気がします。
男性向けジャンルに女性が生息することの難しさ
何をもって男性向けジャンルだと判断するかは微妙であるが、BL同人誌が比較的出ないジャンル、と考えればわかりやすいかもしれない。
そのジャンルのオンリーイベントの客層(一般参加者)の男性比率が半分以上とか。
女性がなんとなく好きになったジャンルが男性向けだった場合、それなりにいろいろある。
同人誌を検索してみるとなかなかハードな内容で、その洗礼を受けたり。
同人誌即売会に行ってみると同性の参加者が少なかったり。
なんでここに自分はいるんだ、という賢者モードになったり。
男性向けを好きになっても、生物学的には女性なので、いろいろと違いが出てくる。
例えば、男性向けはエロければ売れる、女性向けはシチュエーション重視、など。
だから、男性向けのジャンルのキャラの、ほのぼのしたいちゃいちゃを見たい、という需要はなかなか満たされない。手っ取り早いのは、そのジャンルで同人誌を出している女性作者を見つけることだ。
百合という概念が最近流行っている気がする。これは、男性向けジャンルにいる女性にとって、福音だったと思う。
かわいいは正義、という言葉には同意するが、かわいいキャラをめちゃくちゃに犯すのは好きじゃない、という嗜好が百合によって少し救われたと思っている。
ラブライブサンシャイン7話の感動
ラブライブサンシャインの7話を見ました。感動した。わりと毎回感動してるけども。
ネタバレを含みます。
ラブライブ決勝進出。学校は統廃合決定。
事実は以上です。
何に感動したのかというと、演出。台詞。
今回のお話の最初で、ラブライブ決勝進出が決まります。やったーーっっ!!ってなる。
みんなキラキラモードです。やったね。
しかしその直後、問題がやってくる。学校存続が達成できなかった。
さっきとは一転、みんなどんよりモードです。
そりゃそうだ。学校を存続させるためにがんばって来たんだもんね。
ここでの、ギリギリできそうで、でもできなかった演出が素敵でした。
まだいける、いけそうな気がする!…でもできなかった。そういうこと、よくあったので。とても感情移入しました。
今後の展開を私なりに予想すると、ラブライブ優勝からのやっぱり統廃合ナシ!になる気がします。
それはさておき。アクアのメンバーは。一晩考えたあと、ラブライブに出場することを決めます。学校の全生徒による励ましを受けて。
このシーンも好きです。青春って感じがする。代表者が叫んだあと、全員で叫ぶやつ、学生時代にやった人いるんじゃないかな。
で、ラブライブ決勝がんばろうね、で今回の話は終わります。前向きな終わりかたでよかった。
ラブライブ決勝が楽しみです。どんな展開になるのか、彼女たちがどのように成長するのか、気になるところです。
大学の授業料無料にしたって意味なくない?
大学の授業料を無料にする。これは多分、国公立大学が対象。私立大学まで国は相手できないだろうから。
でも、国公立大学に行くは誰か。エリート。頭のいい人。それなりの教育を受けて来た人。
中学生くらいになれば、多くの子が塾に通います。ここで学力差が大きくなる。
つまり、お金をかけた教育を受け、さらに頭の良い子が国公立大学へ行くわけです。
極端に言えば、産まれた時点で、その家庭の経済力などで、国公立大学へ行く可能性はわかるわけです。
貧困家庭に産まれれば、大学に行ける確率は少ない。よって国公立大学に行く確率も少ない。
要するに、国公立大学の授業料を無料にしたところで教育格差は埋まらない。
子供のいる、または子供を持つ予定の人を大金持ちにするのが、少子化を止めるためには有効ですね。
20代って性欲あるのに。子供産みたいと思うのに。
産んでも明るい未来が見えないから、絶対に産みたくないと思っています。
幸せにできないなら産みたくない
この記事を読んで、思ったことを書きます。
親の収入と子どもの学歴が比例する。大卒の方が収入が多くなる。
よく言われていることです。これを親の立場から考えたら、どうでしょうか。
自分(自分たち)の収入が少なければ、子供は幸せになれない、とも捉えられます。
上の記事では、親が子供の教育に関心を持つことが、格差を無くす第一歩だと述べていますし、その通りだと思います。
でも、貧困でお金を稼ぐのに必至な中、教育に気持ちを向けるほどの余裕を持つのも難しいと思います。
極端な話、離婚しても、シングルマザーでも充分子供を育てられるだけの経済力があれば、親は子供を産んで育てようと思えます。
しかし、将来経済力がある見通しが無い。経済力が無ければ自分の子供は幸せになれない。
そう考えれば、子供を産まない選択肢を取るのは当然のように思います。
わざわざ、不幸になるとわかっている命を産み出すのは嫌です。
家族がずっと一緒、お互い支え合うもの、という価値観は信用できません。離婚が当たり前の時代ですし。
それよりも、親ひとりで子供を育てられる、それだけの経済力を手に入れるのが、親ポジションにとっては死活問題です。
日本では今でも年功序列型賃金制が残っているようです。
年功序列だと、一番お金を必要としている20代、30代にお金が行きません。
大学の授業料を下げるという政策の案がありますが、それに使う予算を20代、30代の方のお給料にすれば、経済力が保証されて子供を産む気にもなるのに、と思います。
そのお金を遊びなどに使ってしまえば本末転倒ですが。
「かわいい」は女性を救う
かわいいという言葉。いろいろなニュアンスで使え、共感を得やすい便利な言葉でもある。
同時に、プラスというか、前向きな言葉だと思います。あまりマイナスな表現では使わないと思う。胸のサイズのかわいいはちょっとアレですが。
男性はおそらく、すごいとか、そういう言葉のほうが嬉しいと思うのでしょうが、少なくとも女性は、かわいいと言われて嫌な人はいないと思います。
ただ、日本人の傾向なのか、かわいいと言われたら謙遜するのがスタンダードな気がします。「そんなことないです」みたいな感じ。
個人的には、「かわいい」に対して「ありがとう」と返されたほうが清々しいです。
謙遜は置いといて、女性は「かわいい」と言われることで、前向きになれます。
特に言われ慣れてないと、宝くじ当てたようなラッキー感があります。
私自身、兄弟に不細工とバカにされたり、顔はまあかわいくはないよね、とか言われて来たので、それなりに自分の容姿や言動を肯定できなかったです。
でも、高校や大学で、めちゃくちゃ「かわいい」と言ってくれる人に出会えました。最初は「目、大丈夫⁇」とかひねくれたことを思ってたのですが、実際、すごくうれしかったです。
今では、「かわいい」と言ってくれる人は全員天使だと思っています。
容姿だけでなく、仕草などにも注目して、ぜひ、その人のかわいいところを誉めてみてください。
その一言で、その人が救われるかもしれません。