二次元も三次元も愛したい

女キャラの夢女子

百合が好きな理由

女性で百合が好きな理由について、ピンと来たものがあるので語ります。

「女性の性欲が無視されない」

この理由に至ったのは、ある記事を読んでいたのがきっかけです。

その記事によると、性欲は人間誰でも持っている、そうです。

アセクシャルなどの例外はあると思いますが、この意見にとても納得しました。

 

百合において、性的表現が入ると、よく男性の自己投影だとか、書いたのがおじさんとか言われがちで、私はそれに疑問を感じていました。

女性が同性との性体験をしたという記事に対してのコメントで、おじさん認定されていたことも。

つまり、「性欲は男性のもの」という価値観が根強くあるのだと思います。

その価値観は女性も強く信じていて、女性の性欲は美しい(男性の性欲よりはマシ)と思っている、という指摘を受けて、しっくり来ました。

 

BLでも、男性に性欲を投影するという方法であり、女性の性欲を肯定するものではなかったように思います。

 

百合やBLが好きだからといって、好みを人に押し付けるのはやってはいけないことであり、友情や家族愛などの関係性を無理やり性愛に置き換えることは邪道だと思っています。

邪道だからこそ、住み分けがとても大切です。

 

話がずれましたが、要は、「女性の性欲を肯定する」点も、百合が好きな要素だと気づいたという話でした。

 

 

著作権と自己満足

二次創作やMADなど、オリジナルではなくて、原作から借りて作品を作る文化があります。

これが法的や倫理的にどうか、というのは(詳しくないので)置いておき、自己満足をメインに書きたいと思います。

 

そもそも二次創作をする動機は、ざっくり分けて3つあると思います。

1その作品やキャラを好きに動かしたい

2愛を示す手段

3同志と交流したい、認められたい、お金がほしい

 

1だけなら一人でもOK。2や3になると、自己では完結できなくなります。

なぜなら、「示す」「認められる」「交換」は一人では不可能で、必ず他者がいることが前提だからです。

そして「社会」が成り立っている以上、法律で人々の行動を調整する必要があるわけです。

 

そうでなければ、権利によってお金が回っている仕組みが壊れてしまいます。その大切な原作そのものが維持できなくなります。

 

このような事情があって、著作権が存在しているのですが、著作権はとてもデリケートです。

ファンアートなど、その作品が好きだから描くものでも、一歩間違えれば規制に引っ掛かります。

 

そこで大切なことが、自己満足です。

自己満足とは、自分が満足すること。つまり自己完結です。

先ほどの動機の1で終わらせることです。

 

1のみ、つまり一人で解決する範囲では規制はされにくいです。

それはきっと、「社会」に関係ない範囲だからでしょう。

 

マズローの階層という心理学の話があります。これは欲求を階層に分け、上に上がるにつれて、より高度な欲求になるという理論です。

それによると、承認欲求の上に位置するのが、自己実現だそうです。

私の解釈では、自分で自分を認めてあげることです。

自分を認めてあげることで、他者からの承認は少なくても満たされるのかもしれません。

 

以上、自己満足は大切で、他者や法律に振り回されなくなるよ、というお話でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

狂気のススメ

星です。

私は現在、情緒不安定な時期にあります。

躁と鬱、つまりプラスとマイナスを行き来しています。

 

1カ月に一度、1週間ほど、この躁鬱期がやって来ます。

躁鬱期の間は社会的な行動(論理的に考える、作業を正確にこなす)ことが少し難しくなります。感情に左右されやすくなるからです。

 

しかし、この躁鬱期にはメリットがあります。

躁状態のとき、様々なものを深く感じることができ、感動もしやすい状態なので、楽しめるということです。

 

社会人になって希望が無くなったとか、お金はあるけれど楽しみがない、とよく聞きます。

これは持論ですが、人が楽しむときというのは、バカになるときではないでしょうか。

例えば、誰かに強く恋をしたとき、作品に感動して涙が止まらないとき、お祭りで全力で騒ぐとき、などです。

20歳を超えると、多くの人がお酒を好むようになりますが、それは理性を弱め、バカになることで楽しめるからじゃないかと思います。

 

バカ、という言葉を、ここではプラスの意味で捉えています。

ここでバカの反対である、賢い、について考えます。

賢いとは、望ましい結果を得るために最適な手段を見つけ、実行することだと仮定します。

生物の目的は種の存続だったり、自分という個体が生き延びることです。

なので、リスクを冒すことはバカだし、理性をなくして判断力を失えば、危険に対処できなくなり、命を落とす確率が上がるのでバカです。

 

生き延びるためには、賢さが必要なのです。

 

しかし、人間は生き延びても、自分は何のために生きているんだろう、と考え始めます。

恐らく、ここが人間らしい部分で、他の生物と違うところです。

このために人間は唯一、自殺をします。

 

社会に出たら、理性的であることを求められますよね。それは社会を維持するために必要なことだからです。

ただ、自分が楽しみ、生きる意味を感じるためには、バカになることが必要です。

大切なのは理性とバカのバランスで、どちらが強すぎても駄目になります。

 

私にとっては躁鬱期がバカになる期間であり、楽しめる時期です。

社会人としてしっかり働いて、家事をして、生きていて、でも何のために?と思う人こそ、一度バカになってみてほしいです。

 

バカになる一番の方法は、何かを好きになることらしいです。

好きなことを見つけるために、お金と労力がかかるので、難しいのですが。

 

 

おっぱいを見て落ち着いた話

おっぱいって素敵ですよね。この単語を見たらクリックしてしまうくらいには好きです。

ある動画を見ました。お母さんが赤ちゃんに母乳をあげている動画です。

私はそれを見て、落ち着いたというか、とても満たされました。

 

自分語りになりますが、私は哺乳瓶育ちです。

母は当時、胸の状態が悪く、母乳を与えられなかったらしいです。

また、幼い頃、母に甘えようとして、はたかれた記憶があります。

それが理由なのかはわかりませんが、私は女性の体に対する執着が強いと思います。

推測ですが、母に甘え足りなかった部分があるのかもしれません。

 

それが、例の動画を見て、落ち着いた訳です。

自分でも不思議なのですが、幼い頃の私は、おっぱいを飲みたかったのかもしれません。

 

ネットの記事や内輪の話で、男は巨乳が好きだ、という話をよく聞きます。

女性も自分を抜きで考えたら、おっぱいが好きな人はわりといるのだと思います。

ただ、度を越して執着させないために、子供のうちにたくさん触れ合ってあげてほしいです。

大人は子供の未来の姿です。触れ合って愛情を感じておくことが、大人になってから、他人と関係を作る上で重要になると思います。

 

 

掲示板の感想

最近、5ちゃんねるを見ている。特にアンチスレッド。

悪趣味と言えばその通りだが、批判はたまに的を射ている意見が出てくるので面白いと思っている。必要以上に罵る言葉は好きではないが。

 

その5ちゃんねるの掲示板を見ていて、思ったことをまとめます。

 

1公式がゴリ推しするキャラは嫌われる

「忘れないでください。どんなキャラクターにもファンがいるということを」

という名言がこれを表しています。

公式からの扱いが悪いキャラのファンは、例えば、小学校の演劇で木の役をさせられる生徒の親の気持ちになるのでは。

平等は難しいけれど、公式推しのキャラには、しっかりとしたストーリーやグッズの売り上げなど、根拠のある理由が求められると思います。

 

2何をしても批判は起こる

AかBか二者択一の選挙をすれば、どちらが当選しても敵が出てくる感じです。

批判を最小限にするより、肯定的な意見がたくさん出てくるほうが個人的には好きです。

愛の反対は無関心って言いますし。

 

3居場所は多い方がいい

学校、仕事、趣味、家庭のように、人間関係だったり、自分の側面的なものは多い方がいいです。リア充が楽しそうで生命力が強いのは、居場所が多いからだと思います。

インドア派でも、趣味をたくさん持ってみるとか。

居場所を多くすれば、嫌なことがあったときの逃げ場所になります。

好きな漫画が5つあれば、1つの展開が嫌になっても他の作品に逃げられるとか。

愛憎という言葉のように、好きな気持ち故に憎んでしまうことがあります。

私は大体そうです。

意識して居場所を見つけるのが、精神を安定させる上で重要かもしれません。

 

 

以上、掲示板の感想(考察)でした。

批判があるうちは終わりじゃないと信じたいです。

 

 

 

 

 

 

 

なぜBLや男性向けのエロ本を読むとき葛藤が起きるのか

女性の場合、男性キャラに自己投影しても、自分は男性ではないため、最終的には男性キャラと自分を切り離せる。

男性の場合、女性キャラに自己投影しても、自分は女性ではないため、最終的には女性キャラと自分を切り離せる。

このような原理があると思います。

 

なぜBLや男性向けのエロ本を読むとき葛藤が起きるのかを考えました。

BLと男性向けを例に出したのは、この2つのジャンルが特に、恥辱的なものが多いと思うからです。

結局、人は自分以外のものなら徹底的に残酷になれるのかもしれません。

 

男性がBLを読む場合と、女性が男性向けを読む場合、両者とも自分が犠牲になっているように感じるのだと思います。

それを乗り越えるために、腐女子メンタル、名誉男性メンタルを使うと便利ですね。

以上、考察でした。

 

女という幻想

いわゆる男性向けを愛好する女性オタクなら、あるあるかと思います。

女という概念は幻想。

社会的な、政治的な意味での女性は、おそらく現実を多少は考慮したものになっていますが、オタク的な世界観における女は、かなり幻想だと感じます。

 

私自身がそうなのですが、二次元の女と聞くと、スタイル抜群の美少女が浮かびます。

顔面偏差値がアレとか、年を取っているという概念はありません。

一方、二次元の男と聞いても、私の場合は乙女ゲームのキャラが浮かびますが、幾つか挙げると、年齢的にはおじさんのキャラも浮かびます。

 

理想の女性とは、若くて美人でスタイル抜群なのでしょうね。これは男性はもちろん、女性にとっても。

最近の漫画やソシャゲでも、胸の大きいキャラをよく見かけます。

幼い女の子キャラでさえ、大人並の胸の大きさだったり。

 

私は女という概念が好きなので、キャラも可愛いなと思うし、消費する側です。

しかし、自身が女だという自覚は、女性は基本的に生きていく上で身に付けると思います。

鏡に移った体を見てみると、特にそう思います。

ただ、やはり女という概念には遠く感じます。

 

自分の理想のように可愛くないし、スタイル良くないし、ブスと言われる経験は女性誰しもするのではないでしょうか。

単に相手にとって、というのもあれば、可愛いけれど悪口として、だったり、もっと可愛い子に比べればだったり。

 

二次元の女性キャラを好きでいながらも、やはりそこには葛藤があります。

男性向けで好きな部分は、女性が女性的に魅力的に描かれているところと、女性キャラがキャストで、読者(こちら側)がお客さんとして楽しませてくれるところです。

 

女性キャラによる心理描写を見ていて、まあ本気で好きな人に対してだったら思うかもしれない、と感じるものや、そういう価値観の人もいる…かもな、と感じるものが多いです。

だいたいの内容は、考えたら負けだと思って読んでいます。

 

自分だけで楽しむならいいですが、性的な話題を自分から出すことも、自分が好きな人以外から性的に見られるのも基本的には女性は屈辱を感じるのだと思います。

征服する側に回るほうが、結局は満足感を得やすいです。

 

女性キャラに自己投影して楽しむ男性がいたとしても、恐らく表立っては語らないと思います。

それだけ、女性というか、受け、される側という立場は危うく、不安定なところにあります。

 

だから、それを楽しんでいる当事者は、自分ひとりで楽しみたいのであり、それについて干渉はされたくないのだと思います。

少なくとも、私はそうです。