中絶 自殺 生産性
タイトルが暗いですね。
この3つのキーワードについて、最近よく思いを馳せます。
多くの命が生まれる前になくなって、産まれてからもなくなっているという事実を把握できたのは最近です。
自殺については少し前から調べていましたが、某ドラマがきっかけで、中絶も多いのだと知りました。
私は、倫理的にどうこう言うつもりはありません。結局は当事者にしか苦しみはわからないと思うからです。
私がこの記事を書こうと思ったのは、命について、自分の考えを書いておきたいと思ったからです。
というのも、中学生、高校生時代に何度もしにたいと思ったし、親に対して、どうして私を産んだの、と言ってしまったことがあるからです。
それから、生産性、という言葉。これは、ある議員さんが「同性愛者に生産性がない」と言ったことから引用しています。
そもそも、子供を産めばいいってもんじゃないし、子供は商品じゃないという話だと、私は思います。
話を戻します。命についての私の考えは、命は自然のもの、ということです。
つまり、勝手に産まれて勝手に消えます。産まれる原因もなくなる原因も色々あり、それによって出る影響も様々です。
だから、生きるとかしぬとか、私はあまり意識しないようにしています。
もちろん、身近な人に何かあったときは、意識せざるを得ませんが。
勝手に産まれて、勝手になくなる。
これは、風みたいなものかもしれません。
そう考えるようになってから、私はとても楽になりました。
親が一生懸命産み育ててくれたのだから、立派に生きなければならないと思えば思うほど、しにたい気持ちが強くなっていた気がします。
命は、勝手に産まれ、勝手に消えるもの。それならこの瞬間は好きに過ごそう。
私は、こう考えています。
男とか女とか
男とか女とか、性別の概念が恋愛をしにくくしていると思います。
恋愛に性別なんて関係ないと言いたいわけではありません。
人間って記号化できるもんじゃないな、と言いたいのです。
女性、20代、4人家族、姉がいる、と条件を絞っても、近所に仲の良い異性の友達がいたとか、小説の世界にハマったとか、どうしても個性が出てきます。私はそれこそが面白いと思うのですが。
メディアなどで、こういう女性はモテるとか、こういう顔やスタイルが人気とか言う話はよく聞きます。それは娯楽としては面白いですが、一部の人を苦しめているような気がします。
女装ではなく、純粋に自分を綺麗に見せるためにメイクする男性。
男兄弟の中で育ち、言葉遣いも丁寧ではなくなった女性。
メイクは女性がするもの。荒い言葉遣いは男性のもの。
そういう世間の常識に縛られていたら、深い関係はとても結べないのではないでしょうか。
二次元を見ていてよく思うのは、二次元は記号化の文化ということです。
男らしい、女らしいに始まり、ツンデレ、癒し系、ドS、猫耳、ボーイッシュや男の娘。
また、二次元においてギャップ燃えがありますが、これは正反対、またはあまり関係のない2、3個の記号を組み合わせたものだと思います。
クールなのに実は癒し系とか。ボーイッシュな見た目なのに心は乙女とか。
二次元とは逆に、三次元の人間は、ひとりで多様な側面を持っています。
料理とサーフィンが趣味で、アウトドアの知識は本で仕入れるとか。
側面は2、3個ではなく、何十個にもなります。その中に、いわゆる解釈違いが含まれていても不思議ではありません。数が増えるほど、それに当たる確率は増えます。
要するに、二次元と三次元の違いは多様性だと思います。
また、ネットでは三次元の人間であっても、記号化された、二次元的な情報として伝わりやすいです。
だから三次元で深い関係を築くためには、いわゆる解釈違いや地雷を避けるためにも、お互いの距離感が必要になってくるのだと考えています。
受験の思い出
女子の点数がどうこう、というニュースを聞いたので、受験の思い出について書きます。因果関係はあまりありません。
結論から言うと、私は第一志望に行けませんでした。某共通テストの点数が低くて受けることができませんでした。
私の通っていた学校は自称進学校だったので、プライドだけは高くなりました。大した成績でないのに、そこに通ってるだけでエライという感覚です。
第一志望に行きたい、プライド以外の理由は、お金でした。あまりお金に余裕がなかったので、なるべく学費の掛からない国公立に行きたかったです。
そして時は流れ、第一志望ではない大学に通うことになりました。
感想としては、素敵な仲間にも恵まれ、異性と一瞬でも喋る機会に恵まれ、この学部に一片の後悔なしと思え、趣味に没頭し、大好きな推しに出会い、バイトの愚痴を言いまくり、就職活動もおちついた今となっては、とてもいい四年間だったと言えます。
要するに、悪いことばかりじゃないよ、と言いたいです。色々な事情のために第一志望に行けなかった人に対して。
勿論、平等でないことは社会的に問題ですし、許されないことです。
ただ、それとは別に、個人の人生としては、例えば第二志望の大学に行ったりしても、その人ならではの出会いがあるのだと思います。
個人的には、学歴だけで人を判断しなくなったことが、第一志望に落ちてよかったことだと思っています。
みんな自分勝手だから
みんな自分勝手だから、好きに生きればいいじゃん、と思います。
家族だから、親友だから、親だから。
そういう感覚に縛られていると、あまりよくないと思います。
家族だからわかってくれるだろう、とか。
家族だから○○しなければいけない、とか。
自分がしたいからやった、自分が納得してやった、という感覚を大事にしたいです。
自分を基準にしていれば、「裏切られた」と感じることが少なくなるのではないでしょうか。
家族だから、友達だから、○○をしてあげた、という感覚は、自分が同じ状況になったとき、相手が同じようにしてくれることを期待している気がします。
「あのとき私は○○してあげたのに、なんであなたはしてくれないの!?」、というように。
悔いはない、と言える人生にしたいです。
街コンに行ってきた
星です。街コンに行ってきました。
個人的見解ですが、街コンは合コンや婚活より軽めの出会い系イベント、だと感じました。
参加者は男女共に年齢が低めで、20代前半がメインでした。
友達に誘われて行ったのですが、私はこういったイベントが初めてで、始まる前や開始直後は「帰りたい…」ばかり思いました。
とは言え、始まってからはとても楽しかったです。
参加者が皆友好的で、場を盛り上げようとしてくれているのが、ひしひしと伝わってきました。みんなで作るバラエティー番組という感じでした。(もちろん、撮影はありませんが)
また、SNSが普及した最近では、リアルの人間とじっくり話すことが実感として少ないです。その分、ネットでのやり取りに不安を覚えたり、ネットの記事に惑わされたりするのですが、今回は、リアルの人間と話す、とてもいい機会になりました。
アナログ懐古厨的な意見としては、たまにはリアルでお話するのも楽しいです。
自分語りになりますが、私は自分をコミュ障だと思っています。
なので、コミュ障にとってさらにコミュニケーションのハードルを上げることをなるべく控えるようにしています。
例えば、「私コミュ障なので、そちらから話しかけてください」と言うこと。
コミュ障×コミュ障の場合(なぜかよくこの場面になります。類は類を呼んでるんですかね)、いやそっちが話してくれよってなります。
なので、コミュ障らしく、同類のコミュ障の敵にならないようにしています。
という自分語りでした。
街コンや合コンなど、「コン」のつくイベントは出会い系感が強くてとても近寄りがたく感じます。友達と一緒でなければ、怖くて参加できませんでした。
だからこそ、もっとゆるい感じのお話イベントが増えてくれたら素敵だと思いました。
全体の感想として、様々な境遇の人の、いろいろな話を聞けてとても楽しかったし、とても勉強になりました。
久しぶりに社会に出ていくことが楽しみになりました。
街コンに連れて行ってくれた友人、主催、スタッフ、参加者の皆様、本当にありがとうございました。
また心の準備ができたら、こういうイベント(できればゆるいやつ)に参加したいです。
そろそろ別のシナリオが必要
星です。久しぶりに書きます。
結婚と出産=しあわせ、という物語が当たり前ではなくなってきました。
とすれば、お伽話によくある、お姫様が王子様に選ばれる物語も現実的ではないのかもしれません。
物語は人の数だけあると私は考えています。
王道や人気の物語はありますが、自分のお気に入りの物語を見つけられたら、それはとても楽しいのだと思います。
メディアやその他大勢の人は、自分の物語に対してクレームをつけたり、口出ししてくるかもしれません。
そうした周りの声でなく、物語の主人公である自分の声を聞けたら、面白い物語になるはずです。
働いてみた
アルバイトを始めました。
バイト自体は経験があるのですが、空白期間があり、久々に勤務することになりました。
数年間ぶりに働いてみると色々なことを感じたので、今回はその覚え書きです。
まず、人ってヤバい。
甚だしい、くらいのニュアンスです。
十人十色と言いますが、本当に色々な人がいますね。
喋りやすく、顔を見ただけで幸せになれるタイプの人もいれば、毎回一言多く、無愛想な人もいます。
その言葉いる?とか、笑おう?とか思います。
次に、慣れるまでが大変。
何年間も続けてる人たちが周りにたくさんいるので、始めたばかりとはいえ、できなくて落ち込むことが多いです。
最後に、不文律を理解するのが大変。
何をしたらアウトとか、仲間内のノリの把握といった感じです。
仕事のルールも先輩によって違ったりするので、共通項を見つけたり。
ちょっと働いてみただけで、多くのことを感じました。
引きこもりの時に比べ、嬉しいことも辛いことも2倍、緊張感も2倍といった感じです。
何事もある程度続けないと本質は見えてこないので、とりあえず続けていくつもりです。