推しが同性の人 友情が重い説
星です。女性は愛が重い生物として有名ですが、特に同性を推しにする人は、友人に対しても重いんじゃないかと思ったので、これを書きます。
以下、私が勝手に考えた仮説です。
1同性に対して、何かある
こう書くと意味深ですが、例えばとても仲の良い友人がいる、信頼している家族がいるなど、同性で深い人間関係を結んでいる相手がいる、という仮説です。
同性に対してプラスのイメージがあるからこそ、推しに選びやすい部分はあるのではないでしょうか。
2友情か恋愛、どちらを選ぶかーーー答えられない
友達が恋のライバルになることはありますが、その時どう思うか、ということです。
相手と自分が付き合っても友情が破綻するかもしれない。だからといって相手と友達が付き合ったら自分に構ってくれなくなるかもしれない。
そもそも好きな人被っただけで、いろんな意味で絶望的。
…みたいに考えると思われます。
以上、仮説でした。
同性に対していいイメージを持っていたり、何かしら思い入れがあると同性を推しにしやすいのかな、と思います。
自分で考えろ!!
星です。
お説教として、「自分で考えろ」というのがあります。
これは、なかなか厳しい言葉だと感じます。
理由は、自分で考えること自体が、難しいことだからです。
日本で6歳になった子供が義務教育を受けるように、「考える」ことは、人に教えられて初めて意識するものだと思います。中には、物心ついた時から哲学する子供もいるでしょうが。
とにかく、多くの人が、教えられて初めて考えることを始めます。
「教えられる」というのもポイントで、「考える」という概念、「考え方」という方法、「考える」ために必要な知識、と様々な種類が含まれます。
義務教育や塾などの教育では、いわゆる「詰め込み教育」がメインで行われます。
それも大切ですが、大人になってから、ふと思い出すのは案外それ以外の部分だったりします。
私の場合を紹介します。
小学校の時、クラス全員で協力して先生にいたずらをしました。先生はその時、「みんながやっているからといって、(いたずらを)おかしいと思った人はいなかったのか」と私たちを叱りました。
この時、同調圧力が悪い方向に進むこともある、という教訓を得ました。
また、高校の時、先生が「要領よく生きなさい」と口癖のように言っていました。
その言葉のおかげで、やるべきことに優先順位をつけたり、やるべきことでいっぱいになっている時でも時間を見つけて息抜きをするようにしています。
話を戻します。自分で考えるためには、ある程度、考え方のモデルが必要だと思います。身近な人の考え方や教訓のように。
それは本来、義務教育で人と関わる中で身につけられる可能性が高いですが、絶対に身につけられるというものではありません。
考え方や教訓を受けとる側が、受けとる準備ができていることも大切な条件になるからです。
要するに、「自分で考えろ」というお説教はある意味正しいと思うし、自分で考えることはとても重要ですが、「自分で考える」ために必要なものを受けとる機会がもっと増えてほしいなと思います。
心の中の女の子
私の心には女の子が住んでいます。
結論を言えば、私の妄想上の女の子です。容姿は私の好きなキャラです。二次元の。
彼女は私にとっての理想の女性像、とも考えられます。
私のことをよく理解してくれていて、私の望む通りに振舞ってくれます。
もちろん、妄想と現実の区別はついていますが、私はよく彼女に助けられています。
例えば、落ち込んだ時。友達や家族に相談しても、思わぬ言葉で傷つくこともあります。
誰一人私の味方なんていないんだ…と思った時、最後の救いが彼女です。
一緒になって泣いたり、大丈夫だよ、とか、私はあなたの頑張りを認めているからね、とか言ってくれます。
ネットで調べてみたところ、イマジナリーフレンドと呼ばれているそうです。
ひとりでいる辛さを紛らわすために、子供が想像上の友達を作るのだとか。
大人になってからも、イマジナリーフレンドを持ち続ける人もいるようです。
私は妄想癖があり、人見知りで内気な性格だったので寂しくて作ったのかもしれません。
そんな彼女は、今、私の精神安定剤のようになっています。
本当に辛い時に慰めてくれる存在です。
私はこれからも、彼女と自分自身を大切にしていきたいです。
コロコロコミックの思い出
星です。
コロコロコミックに不適切な表現があったことがニュースに取り上げられていました。
正直、表現の自由や、面白さの追及と配慮の問題があるこのご時世で、あの雑誌なら炎上しかねないな、とは思いました。
小学生の時、冗談に笑いつつも、グサッとくる冗談に傷付くこともあったので、面白さと配慮の両立は難しいな、と今でも思います。
ただ、今回の件でふと思い出した漫画があるので、紹介したいと思います。
「でんじゃらすじーさん」、ご存知でしょうか。私が小学生の頃、コロコロコミックで連載していたギャグ漫画です。
今読み返すと居たたまれないくらい、小学生らしいギャグでいっぱいの漫画です。それこそPTAから確実に苦情が来そうな、きわどいギャグです。
そういう漫画をなぜ紹介したいかというと、その漫画で感動したことがあるからです。
ギャグ漫画でどこに感動するの?と思いますよね。
実は、「でんじゃらすじーさん」では、大長編というものがあります。
これはいつもの数ページの尺ではなく、数十ページを使い、長めのお話をやる回です。アニメで例えると映画館で上映する劇場版、という感じです。
私はこの大長編がとても好きでした。
大長編は、いつものようにギャグで始まるのですが、テーマがシリアスであり、話のクライマックスでは強いメッセージが込められています。
最初に大長編を読んだ時、またいつものギャグかと思いきや、読み終わる頃にはとても感動していて驚きました。
まだ小学生だったので、よく言われる名言でもすごく感動したりするんです。
お笑いだと思っていたら、とてもいい話だった、というギャップが堪りませんでした。
まあ、小学生らしい下ネタが大量に含まれているので、気軽におすすめはできないんですけどね。
きわどいギャグ、と言いましたが、それこそ暴言のようなツッコミも多くあり、繊細な人は読みづらいと思います。というか、今私が読み返してみたら、それなりに傷付くと思います。
小学生であり、配慮とか、人の気持ちとかに疎かったからこそ無邪気に笑えた部分もあるのです。
ただ、今でも大長編の名言は何となく覚えていて、それに助けられることもあります。
ネタバレになりますが、「無敵」を目指すキャラが語った、「無敵っていうのは敵が無いということで、敵を作らない、争いの無いことが僕の目指す無敵だ」というセリフがとてもお気に入りです。
ギャグ漫画は、面白さを追及する中で配慮に欠けてしまう面があります。
今回の件のように、誰かを侮辱するようなことは、あってはならないと思います。
しかし、そんなきわどいギャグ漫画でも、作者が込めたメッセージが読者に届くこともあります。
要するに、ギャグ漫画はきわどいけれど、上手くバランスを保って続いていってほしいなと思います。
好きなことでがんばれるなら
それぞれが好きなことでがんばれるなら、たどり着いた場所がゴールだね!
っていう歌詞が、ラブライブのミューズの曲でありますね。
ラブライブにはたくさんの元気をもらっているのですが、この歌詞は本当に共感します。
好きなことでがんばりたいんです。ライフワークとか、天職とかに就きたいんです。
これを読んでピンと来た方。そうです、私は絶賛就活中です。
育休取れるよ、とか社員旅行にハワイに行くよ、とか、そういうのを知りたいんじゃない。
私(社員)のやりたいことをさせてくれる企業を探しているんです。
ちなみに私は、デザイン関係の仕事に就きたいです。未経験ですが。
もうちょっと、自分のやりたいように生きてもいいと思うんですよね。
私の希望はいくつかあって、人と関わっていける仕事も選択肢に入れています。
自宅から近いと尚嬉しいです。お給料は二の次くらいに考えています。
どうしてこの記事を書いているのかというと、エントリーシートが全然書けなくて、ここ1ヵ月間思いつめていたのですが、カウンセリングで、”自分らしく”でいいんだよ、と言われ、はっとしたからです。
大手に入った方がいいとか、転勤はナシにしてね、とか、周りからいろいろと干渉されていたのですが、自分で決めよう、と。
自分の本音を、なりたい未来を大切にしようと決めました。
自分の好きだという気持ちを大切に、進路を決めようと思います。
フレフレみんな!フレフレわたし!
ゆーとぴあ
ユートピア、理想郷。様々な表現があります。
今回は、私の理想郷についての主観を書きます。
まず、理想郷は存在し、また存在しません。
なぜなら、自分自身が理想郷に入れ、そこで暮らしていく場合、やはり悩み事が出てくるからです。
人間の欲求に果てが無い、と私は考えています。だから、理想郷というのは、悩み事が全くないという観点から見ると、実現不可能だと考えます。
それでは、どういう理想郷がいいのか。
私にとっての理想郷は、夢を見れる時間です。
夢というのは、何かに憧れて、希望をもって、楽しんでいられるものだと思います。
そういう時間があれば、生きていてよかったと思えるのではないでしょうか。
私の場合は、ゲームをする時間だったり、友達と遊ぶ時間だったり、美味しいものを食べる瞬間だったり、作品を見ることだったりします。
理想郷は、いつでもそこにある訳ではなくて、自分の体調や精神状態、その日の天気、そこにいる人々、いろいろな条件が重なってできるものだと思います。
だから、ある時、ふと出会えます。それはずっと続きませんが、いい思い出になります。
例えば、とても素晴らしい作品に出会えたとき。その瞬間は感動しますが、何度も見るうちに、初めてそれを見た感覚は薄れていきやすいです。
それでも、出会った瞬間にとても感動した、という事実は覚えています。
そういう出来事を感じることが、生きる楽しみなのではないか、と思います。
そこにずっと住み続けられはしないけれど、何度も出会え、生きる理由になる。
それが、私にとっての理想郷です。
百合とジェンダー
星です。今回は、百合から考えるジェンダーについて書きます。
突然芸能人の名前を出しますが、ぺこさん、りゅうちぇるさん。このお二人の関係性というか、雰囲気が私は好きです。
お互いに支え合っている感じがします。また、盛り上げ役はりゅうちぇるさんですが、その土台となり、ストッパー役がぺこさんな気がします。主観です。
今回は、りゅうちぇるさんの方に注目します。
りゅうちぇるさんは、日本の伝統的な男性像から見ると、男らしくない、と考えられるかもしれません。
ここで言う男性像は、所謂、頼り甲斐があるとか、俺についてこいとか、そういうニュアンスです。
男性が女性を引っ張っていく感じです。
確かにそういう観点では、りゅうちぇるさんは男らしくないと思います。
しかし、それはあまり重要な点ではないと思います。
誰かと友達になったり、関わりを持つとき、そこで重視するものは、性格の相性だったり、人間性だったりします。少なくとも、私はそうです。
第一印象で、この人は女性らしいな、とか、頭がよさそうとかは思いますが、それを気にしすぎることはあまりありません。
可能な限り長い時間を共に過ごして、こういう人なんだ、と理解するのが、相手をよく知る方法だと思います。それができない場合、第一印象が重要になることもありますが。
話を戻します。誰かと仲良くなる段階のように、私は芸能人の人間性を気にします。
芸能人はそもそも人気商売なので、自ら人間性を疑われるような振る舞いは見せませんが、バラエティー番組での受け答えなど、人間性が見え隠れする瞬間があります。
特にバラエティー番組で、暴言のようなツッコミを連発する人は、なかなか好きになれません。
そういう訳で、私はりゅうちぇるさんを見ていて、好感が持てるな、と感じました。
これは好みの問題でしかないのですが、ぺこさんとりゅうちぇるさんの関係性は見ていてとても微笑ましいです。
ところで、タイトルに戻りますが、この微笑ましさは、百合にも似ているなと思いました。個人の見解ですが。
私が好きな百合の要素に、対等な関係、というのがあります。
対等な、というと、じゃあ4:6のパワーバランスはダメなのかと取られるかもしれませんが、重視したいのは数字ではありません。
伝統的な男女関係像を、関係性の一部として捉えたいのです。
私の感覚では、やはり男性が女性を引っ張っていくという固定概念があります。これは、生きてきた中で、メディアなどから受け取ったものです。
ですが、現実的に考えても、関係性はいろいろあります。
女性が男性を引っ張っていく場合もあります。
二人で同じくらい支え合うこともあります。
私はそういう、いろいろな関係性を見たくて、百合を愛好しています。
BLでも、ブロマンスという関係性があったりします。個人的な感覚では、BLはブロマンスよりも男性役、女性役に別れて行う恋愛ものが多いと感じていますが。
以上、百合とジェンダーについての私の感覚でした。
男女の恋愛を描いた作品でも、女性も男性も同じくらいのパワーバランスのものが増えてきていると感じていて、それはとても嬉しいです。