オタクマーケティングって貝合わせみたい
性的なほうじゃないです。
平安時代にあった、貝を使った遊び、貝合わせ。
二枚貝の貝殻に絵柄を描いて神経衰弱をする遊びです。そこから派生して、拾ってきた貝に歌を付けて、その魅力を競う遊びを指すこともあったそうです(漫画からの知識しかありませんが)。
最近、オタク向けコラボが多いですよね。
温泉とか、香水とか、ワインとか。
筋トレとか献血もあります。
この動きは、オタクをきっかけにして、そのジャンルを知ってもらおうという意図があるのでしょう。
そして、コラボ系のものは基本的に値段が高いです。これも著作権とか事情があるのでしょう。
で、そういうのを見ていて思ったのが、コラボって貝合わせみたいだということです。
貝合わせでは、普通は綺麗な貝殻に綺麗な歌をつけた方が有利なのですが、あえてみすぼらしい貝殻を拾ってきて、これはたいせつな君がくれたものだから特別、という歌をつけることもできます。
妄想で何かの価値を増幅させる、文化的な精神は平安時代に既にあったのかなと考えると、なかなか面白いです。
コラボイベントにお金を使いすぎて疲れたら、自分ならこんなコラボを作る!という妄想を企画書にまとめるのも楽しいです。
損得よりも大事なこと
増税まで、あと僅か。
最近、欲しいものと買い換えたいものがたくさん出てきました。
そして好きなジャンルは、ことごとくソシャゲになっていきます。
スマホを新しいものに換えようかな、とよく思うこの頃です。
お金で買える欲しいものはたくさんありますが、それは今必要なものなのかを考えるようにしています。すると、実は必要なものは少ないです。
それから、コストを抑える方法は、まとめ買いだけではありません。
例えば食べることが生きがいな人がいれば、外食ではなくて市販の食材を組み合わせて料理するとか、外食するなら単価が高くなる夕食は控えるとか、工夫できます。
お金って幸せになるための手段でしかないので、それに振り回されるのは嫌です。
改めて、自分の幸せを感じられるものを大切にしたいです。
節約というゲームも、もちろん楽しいですが。
物語って大事だよねって話
星です。久しぶりの更新です。
突然ですが、物語性って大切だと思います。
例えばいつも使っているシャーペンひとつにしても、この子と一緒に入試も試験も戦ってきたよなあ、という風に。
最近、アパレルやカフェなどで、アニメコラボを見ることが多くなりました。
そこで価値を持っているのは、物語性だと思います。
キャラをモチーフにしたフードやグッズ。その中でも私が面白いと思うのは、キャラがアニメの中で使っていたものや、作品に出てきた料理を再現したものです。
それを使ったり、味わったりすることで、キャラと同じ世界に生きているような感覚がして楽しいです。
それは、まず物語に感動して、思い入れをもって、それを時を経てグッズなどで身近に感じることができるからこそ、生まれるものがあります。
このように、企業側が私たちに物語のきっかけを与えてくれている訳ですが、物語は自分でも生み出すことができます。
単に小説などを書くだけではなく、新しい趣味にハマるとか、新しい人間関係を作ってみるとか。もちろん、何か作品を発表して誰かの反応を待つのも面白いですね。
人生に物語を作るために、行動を起こしていきたいです。
社会人は生産者?
大人になる、社会人になるとは、生産者になることだと聞いたことがあります。
他者に何かを与えられてこそ、大人だという考え方です。
この考え方は一理あると思います。例えば母親は赤ちゃんに自分の全てを捧げて子育てするイメージがありますし、サラリーマンは自分の労働力を会社に与え、対価をもらいます。
ただ大人になった私がふと思ったのは、大人=生産者という考えは、資本主義ならではだということです。
「与える」ということなら、愛情だったり思い出だったり、曖昧なものも含まれます。例えば犬だったら、生きているだけで周りに癒しを与えています。
しかし「生産」となれば話は違います。生産は何かを産み出すことですが、お金を連想させます。
「生産性の向上」の例として、「商品をたくさん作って売る」ことはあっても、「大切な家族にたくさんの愛情を注ぐ」ことは含まれません。
後者を生産性の向上という意味に繋げるなら、「子供に愛情を注ぐ→優秀な子が育つ→将来、多くの収入を稼ぐ」となります。
「生産」という言葉が、資本主義の冷酷さを連れてくるような感覚がします。
だからこそ、私は「大人とは、誰かに何かを与えられるひと」だと言いたいです。
それは必ずしもお金に換算できるものではなく、もっと温かなものだと思います。
数字では表せない、実態のない大切なものを見失わないように生きていきたいです。